コメンタリー

シンクタンクの諸相――筆者自身の経験から 小泉悠(東京大学先端科学技術研究センター准教授、ROLES副代表、一般社団法人DEEP DIVE理事)

はじめに
シンクタンク運営について考えようとするとき、まず問われるべきは、「どのシンクタンクの話なのか」であろう。
シンクタンクの性格は様々である。調査研究を重視するのか、より具体的な政策への関与を目指すのか。政府や特定の立場と距離を置くのか、あるいは密接に協力するのか。営利か非営利か。ひとくちにシンクタンクといっても、以上のような諸要素の組み合わせにより、そのあり様は大きく異なってくる 。そこで以下の本稿では、筆者自身の経験を振り返りながらシンクタンクの諸相をスケッチし、そこに求められる役割について考えてみたい。

公益財団法人未来工学研究所
 筆者が最初に関わりを持ったのは、公益財団法人未来工学研究所である。
 その源流は、米沢滋・元電電公社総裁を中心として1966年に設立された社団法人「科学技術と経済の会」であった。「科学技術と経済の会」は1968年、FROG(Future Research Operation Group)と呼ばれる学際研究志向の作業部会を立ち上げ、1971年には「技術と社会の接点にある諸問題とその将来を研究する」ことを目的とする独立のシンクタンクとして未来工学研究所が設立された。なお、正式の略称は未来工研(IFTEC)とされたが、筆者が在籍した2010年代当時にはより短く「未来研」と呼ばれることが多くなっており、英語名もIFTEC(Institute for Future Technology)からIFENG(Institute for Future Engineering)へと改められていた。
 このように、未来工学研究所はその設立経緯からして電電公社との関わりが深く、実際、1977年には前述の米沢滋が第三代理事長に就任している。筆者も古株の研究員から「昔は未来研の職員は電電公社の食堂で昼飯が食えた」といった話を聞かされたことがあり、未来研側の認識としても電電公社への一定の帰属意識のようなものはあったのだと思われる。
 このほかにも、初期の未来工学研究所においては、電電公社や大企業の社長・会長クラスが理事長・所長に就任することが多かった。九州電力会長・日本原子力発電社長を務めた安川第五郎(初代所長)や日立製作所社長を務めた駒井健一郎(第二代所長)などはその代表例である。また、この当時の未来工学研究所は日本科学技術振興財団が設立した科学技術館内にオフィスを構え、常勤職員はピーク時の1991年時点で73名を抱えるなど、名実共にかなり有力なシンクタンクであったと言ってよい 。
 しかし、1985年に電電公社が民営化されたことで、未来工学研究所の財政事情は悪化し、2010年には職員数が25名まで落ち込む。2011年以降は職員数が再び回復傾向に向かうが、その多くは非常勤職員となり、しかも一部は固定給なし(受託研究が受注できた場合はその中から報酬が支払われる)という待遇であった。筆者も2018年に退所するまでこの待遇で勤務した1人である。研究所もなるべく賃料の安い場所へ移らざるを得ず、筆者の在籍当時は門前仲町の雑居ビルの2フロア(のちに1フロア)を間借りしているという状況であった。米国の最有力シンクタンクである戦略国際問題研究所(CSIS)やジャーマン・マーシャル・ファンド(GMF)、カーネギー国際平和研究所などを訪問した際、自分の所属組織との落差を強く感じたことも事実である。
 このような状況であったために、未来工学研究所での活動は自発的な調査研究や政策提言というよりも、官公庁や企業の下請け業務という性格が強くならざるをえなかった。安定財源がなく、それどころか自分たちの生活費自体も固定で出ない以上は当然の帰結であったといえよう。
 それでも、有意義な活動ができなかったわけではない。筆者が所属した政策調査分析センターは、石川島播磨重工(現IHI)でジェットエンジンの開発を担った稗田浩雄理事、三菱重工におけるPAC-3のライセンス生産を実現させた西山淳一参与などが居り、彼らの下で調査研究を行えたことは得難い経験であった。筆者が携わったプロジェクトは航空宇宙関係の動向調査に関するものが多く、中でも2013年には内閣宇宙戦略室からの委託で「宇宙輸送システム長期ビジョン」の策定に関する事務局運営とビジョン文書の作成作業に携わることで、政策の現場を知ることができた。JAXAの委託による各国の宇宙政策の調査研究や、2011年の東日本大震災を受けた各国の危機管理体制の調査研究など公的機関の案件に関与する過程では、ロシア連邦宇宙庁(ロスコスモス)やロシア非常事態省を訪問して実地に調査を行う機会も得た。それ以前の筆者はフリーライターとしてロシア(特にロシア軍事)について調べては書く、ということを生業としていたが(これは未来工学研究所在職中も続けていた)、研究機関に所属することなしにはこうした経験を得ることはできなかっただろう。後述するロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所(IMEMO)での滞在研究もここに数えられる。
 また、未来工学研究所在職中には、外務省のシンクタンク助成金である外交・安全保障調査研究事業補助金事業が始まった。西山参与の発案で未来工学研究所としても提案を行ったところ、調査研究事業の枠で予算を取ることができたため、これを用いて科学技術と安全保障の関係に関する調査研究を行うことができた。
 これ以外にも未来工学研究所に所属することで得られたものは非常に多かった。ここには科研費に応募するための研究者番号を取得できたことなどの有形の利益もあるが、それ以上に大きかったのは、肩書と居場所が得られたことである。筆者が専門とするロシア軍事に関してメディアから取材を受ける際、「やはり研究所の肩書きがある人だと信用があっていい」という声を掛けられたことは少なくないし、海外からの訪問者と面会する場合にも彼らを招くオフィスや会議室があったことは大変にありがたかった。シンクタンクの役割には、研究に携わる者に信用を与えるという側面があることをここから考えるようになった。

ナショナル・シンクタンク:世界経済国際関係研究所(IMEMO)
 前述のように、筆者は未来工学研究所在職中に外務省の若手研究者フェローシップを得てロシア科学アカデミーの世界経済国際関係研究所(IMEMO)に滞在する機会を得ている(2009年末〜2011年春)。ゴルバチョフ政権時代に外交政策立案のためのナショナル・シンクタンクとして設立された権威ある研究所であるが、当時はソ連崩壊から20年ほどという時期であり、IMEMOの運営はやはり厳しかった。建物自体はIMEMOの所有であったが、大部分のフロアは貸オフィスとして民間企業に貸し出されており、その賃料が財源のかなりの部分を占めていたと思われる。また、当時の筆者はIMEMOの向かいにある団地の一室を借りて暮らしていたが、所長からは「かつてなら君のような外国からの訪問者にもアパートを用意できたのだが、今はそのような余裕がない」と声を掛けられたことからして、やはり財政事情はソ連時代と比べて大幅に悪化していたのだと思われる。職員からも「安定しているのはいいが給料が安すぎるので副業をしているんだ」という声を聞いた。
 それでもIMEMOには政府・軍の元高官やロシアを代表する研究者が多数集っており、ナショナル・シンクタンクとして政府の外交政策を直接支えているという意識は非常に強かったように思われる。筆者が専門とする軍事面で言えば、IMEMO国際安全保障研究センター長のアレクセイ・アルバートフはソ連時代から安全保障政策研究に携わり、1990-200年代のロシアにおける軍改革や軍備管理に大きな影響を及ぼしてきたことで知られる。後者に関しては戦略ロケット軍(RVSN)でターゲティング戦略の策定を担ったウラジミール・ドヴォルキン(IMEMO主任研究員)との共著も多く、彼らの実践的で政策志向を強く帯びた活動は非常に印象的であった。
 加えて、IMEMOは独自の修士・博士課程を持っていた。これはロシアの研究機関ではさほど珍しいことではない。しかし、公式の学位を出せる人材育成機能まで持つシンクタンクは諸外国にはあまり見られず、今後の日本におけるシンクタンク運営の方向性を考える上でひとつの参考になろう。

大学発シンクタンク:東京大学先端科学技術研究センターでの創発戦略研究オープンラボ(ROLES)の立ち上げ
 2019年に東京大学先端科学技術研究センターの特任助教に着任した筆者は、同センターの池内恵教授とともに創発戦略研究オープンラボ(ROLES)を立ち上げた。活動資金としては前述の外交・安全保障調査研究事業補助金に応募し、2020年度から3年間にわたって総合事業としての助成を受けた。続く2023年度から2025年度には発展型総合事業2本と総合事業1本が採択され、活動範囲を大きく広げることができた。
 大学発シンクタンクであることの利点はいろいろとある。まず指摘できるのは、研究活動を行うための拠点となる研究室や研究会合・シンポジウム等の開催場所としての教室・ホール等を非常に廉価に利用できるという点が挙げられよう。どのシンクタンクにおいても地代は固定費のかなりの部分を占めており、これらを大学のインフラによって賄えることは、研究に投じられる「真水」の資金を増やすという意味で非常に有益である。また、東京大学は渋谷QWSのような繁華街のイベントスペースを利用できる枠も持っており、この点は研究成果を広く発信・広報する上で大きな助けとなってきた。
 これに関連する第二点として、人件費についても大学を拠点とすることのメリットは大きい。ROLESの場合、代表の池内教授と副代表の小泉は東京大学に直接雇用されている専任教員であり(小泉は当初、特任であったが2021年より専任)、コア人材分の人件費はシンクタンク運営上の負担となっていない。この分の人件費はプログラム・オフィサーや各種特任教員・研究員、あるいは学生インターンの雇用に回すことができている。このことはまた、博士号取得前後の若手研究者の雇用機会を増やすことにも繋がっていると自負する。
 最後に、大学の研究資源を利用できるという点を指摘したい。外国の専門ジャーナルやデータベースは契約価格が高額である場合が多く、民間シンクタンクが主要なもの全てにアクセスするにはかなりの資金力が必要とされる。この点、東京大学内に設置されているROLESは研究資源へのアクセスという点でかなり恵まれている。筆者の専門で言えばJournal of Slavic Military StudiesやInternational Security、Military Balanceなどを自由に利用できることで、研究の幅は大きく広がった。
 この様な条件の下、ROLESは6年間で大きな発展を遂げた。特に顕著なのは海外の研究機関との交流が大幅に広がったことで、中東、バルト・中欧、バルカン、モンゴルといった、従来はあまり光の当たらなかった地域との間で学術交流を格段に発展させることができた。この点は今後のROLESの発展方向として非常に有望なものであると考えている。2025年にはチェコ共和国のパヴェル大統領を迎えて公開シンポジウムを開催することもできた。
 また、「そのシンクタンクがあったから生み出された知」にも大きく貢献できたと自負している。筆者自身がROLESで関わってきたプロジェクトに絞って述べると、衛星画像を用いた国際安全保障研究というジャンルを開拓し、日本国民の外交・安全保障に関する継続的な世論調査を開始することができた。これらは常に資金確保に追われ、委託元の関心に左右される民間シンクタンクではなかなか手がつけられない野心的かつ非営利の活動である。2022年の国家安全保障戦略改定に際して提言集をまとめることができたのもROLESにおける重要な実績のひとつであり、こうした政策への貢献は今後とも続けていきたいと考えている。

DEEP DIVEの挑戦
 2024年には、笹川平和財団の小原凡司上席フェローとともに一般社団法人DEEP DIVEを立ち上げた。DEEP DIVEは巨大地政学リスクの早期察知を目的とする「民間インテリジェンス機関」と位置付けられており、厳密にはシンクタンクではない。しかしながら、政策志向の研究を行う組織としては広義のシンクタンクに該当するものと考え、筆者のシンクタンク遍歴の最後に取り上げておきたい。
 DEEP DIVEは全くのゼロから立ち上げられた組織であって、ROLESのようなバックグラウンドを持たない。したがって、地代から人件費、研究資源に至る全てを新たに確保する必要があった。特に研究資源については、衛星画像やビッグデータの活用がDEEP DIVEの大きな特徴であるが、いずれもかなり高価な契約を必要とする。
 当面の解決策となったのは、クラウド・ファンディングである。一般市民から4200万円以上の支援が集まり、これによってオフィスや衛星画像契約、特別研究員・事務員の雇用といった最低限の体裁を整えることができた。
 ただ、今後とも組織を存続させていくための固定費(地代・人件費)や研究資源の契約継続のためには安定した財源が必要である。また、現時点でDEEP DIVEに存在する物理インフラは小さなオフィス一つであり、ちょっとしたセミナー等を開くにもかなりの予算を投じて会場を確保せねばならない。大学のインフラをフル活用できるROLESとは異なり、いちいちの挙動にカネが掛かるのであるこうした資金上の制約はDEEP DIVEにとって今後、大きな課題となってこよう。現時点では個人会員システムをWebサイトに実装する作業が進んでいるほか、官庁・民間企業との契約に関する交渉を行なっている段階であり、その成否がDEEP DIVEプロジェクトの活動内容とその幅を左右すると思われる。
 他方、DEEP DIVEが大規模な資金を得られたと仮定してみよう。公的機関ではない私設シンクタンクの振る舞いは自由度が高いので、資金的制約を乗り越えられるならば、その活動にはかなりの可能性が出てくる。例えば現在の世界では、年間1000万ドルで衛星の借り上げ・運用委託までが可能なサービスが登場している。DEEP DIVEが世界初の「衛星を保有・運用するシンクタンク」になることも不可能ではないわけで、思い切ってこのくらいのゴールを目指してみるというのも、シンクタンクの方向性としては「アリ」ではないかと思うのである。

おわりに
以上、筆者個人の経験から、シンクタンクの多様なあり方を概観してきた。ひとくちにシンクタンクといっても、その姿は千差万別であることが断片的にではあるが描けたのではないかと考える。その上で、シンクタンクに共通するいくつかの問題を指摘してみたい。
常に問題になるのは、やはり活動資金の確保である。これなくしてシンクタンクが組織として存続できないことはもちろん、金策に追われるシンクタンクの活動はどうしても独自性・革新性を欠く。このことはまた、シンクタンク人材の層を厚くしていく上での障害ともなっていよう。
この意味では外務省の外交・安全保障調査研究事業補助金事業は我が国におけるシンクタンクを支える重要なインフラであり、今後一層の拡充を求めたい。ただ、国民の税金を使う以上、そこには政策上の利益を還元するという姿勢がシンクタンク側にも強く求められる。外部有識者を集めて研究会合を決められた回数こなす、といったモデルがもはや限界に来ていることは明らかであり、シンクタンク自身が尖った人材を雇用することで「そのシンクタンクがあったから生み出された知」をより積極的に生み出していかねばならないということである。両者がニワトリとタマゴの関係にあることはたしかであるとしても、今求められているのはシンクタンク側のアクションである。ROLESとDEEP DIVEがそうした呼水の一つになっていくことを筆者自身の任務と心得たい。
このことはまた、国際的な議題設定における日本の立ち位置を向上させることにもつながる筈である。生成AIの普及により、言語の壁は今やかつてなく低いものとなっている。海外との交流も、ビデオ会議を活用することで、非常に低コストで行えるようになった。こうした状況下においても日本発の政策的知があまり顧みられていないのだとすれば、それは知の内容自体や発信方法がまだ国際的水準に達していないからだと考えざるをえない。伝統的な学問知や、公官庁・企業が蓄積してきた実践知とを統合し、「世界の議論の中に常に日本が居る」という状況を日本全体として作っていくべきであるというのが筆者の結論である。