2025年1月20日、4年ぶりにあの男、そう「恐怖の男」が帰ってきた。ドナルド・トランプ(Donald J. Trump)である。2期続けてではなく、間をあけて2期目の大統領を務めることとなったのは、グローバー・クリーブランド(Grover Cleveland)以来、132年ぶりのことであった。
 当選したという事実に自分自身が大きく驚いていたと言われる1期目と異なり、トランプは周到な準備のもとに2期目に入っていった。就任から1ヶ月で100本以上の大統領令に署名し、大統領選挙の際に掲げた公約の31分野のうち16に着手したという事実が、そのことを物語っている。
 問題はその手法だ。大統領令を乱発する一方で、議会で可決された法律の数はかなりの低水準にとどまっているように、トランプは行政権を極限まで拡大して解釈し、その政策の実現を図っている。上下両院ともに過半数を占める共和党の「トランプ党」化は進んでおり、議会の抵抗は見られない。さらに、トランプが司法を軽視していることなどいまさら指摘する必要すらなかろう。
 こうした状況に鑑み、とある言葉がメディアで散見されるようになった。「帝王的大統領制(Imperial Presidency)」という言葉である。この用語を聞いた時にすぐ連想される大統領といえば、リチャード・ニクソン(Richard M. Nixon)であろう。事実、「帝王的大統領制」という用語が人口に膾炙することとなったのは、1970年代中葉のことである。ニクソンは、ベトナム戦争やウォーターゲート事件などと関連づけられながら、しばしば「帝王的大統領」と揶揄されていた。ニクソンは、ホワイトハウスを中心とした政策決定過程を好み、行政権を拡大的に解釈することで、三権分立を軽視する姿勢を見せていたのである。そうした状況下、アメリカの歴史家であるアーサー・シュレジンジャー(Arthur M. Schlesinger Jr.)が、『帝王的大統領制』という、まさにそのままのタイトルの著書を出版した。もちろん、ニクソンを強く意識してのことである。
 ゆえに、トランプを「帝王的大統領」と指摘するメディアの多くは、それと同時にニクソンにも多かれ少なかれ触れているものが多い。それにとどまらず、トランプの外交政策や内政状況を分析する際にも、ニクソン政権期がしばしば取り上げられ、歴史のアナロジーが論じられている。特に、トランプの「相互関税」は、「ニクソン・ショック」を想起させた。
 ニクソンとトランプを比較するものの中には、約50年前と今現在が類似していると指摘するものも、過度な類推は危険だと警鐘を鳴らすものも存在する。こうした現状を鑑み、本稿では、これまで発表されてきた研究や論稿を踏まえつつ、ニクソンとトランプ、そしてニクソン政権とトランプ政権の共通点と相違点を整理してみたい。盲目的に、極端に似ている、あるいは似ていないという意見に乗っかるのは危険であり、有益でもない。ゆえに、本稿では「条件づける」という点を強く意識しながらの叙述を試みる。
 それでは以下、2人の大統領就任までの経歴とパーソナリティ、政治的手法・外交政策決定の特徴、大国間関係や北東アジアを中心とした外交政策に着目しながら、上記の問題を考えてみたい。

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