2025年2月24日、ロシアのウクライナへの全面侵攻が始まってから3年が経過することになった。この「3周年」を歓迎する者は、ほとんどいないであろう。短期間でのキーウ占領と戦争の勝利を想定していたロシアのプーチン大統領にとって、これだけの戦費と人命、そして国際的な信頼を喪失することは、おそらく想定外であったのだろう。また、ウクライナのゼレンスキー大統領からすれば、2023年6月に始まったウクライナ軍による反転攻勢が行き詰まり、膠着状態となり、ロシア軍による占領が固定化しつつあることは大きな苛立ちであろう。これまでウクライナへの支援を続けてきた欧米諸国にとっても、先の見えない支援の継続は、当初はあまり想定していなかった事態ではないか。
プーチン大統領、ゼレンスキー、そして大統領選挙中から停戦への圧力をかけることを公言していたアメリカのトランプ大統領ともに、戦争終結の方途を摸索している。だが、そのことが必ずしも和平への道筋に光を照らしているわけではない。というのも、それぞれの和平へ求める前提条件があまりにも乖離しているからである。同時に、2025年1月20日のアメリカにおけるトランプ政権の成立と、2月12日のトランプ大統領とプーチン大統領との電話会談以降、急速に新しい情勢が展開しており、よりいっそう不透明性が増している。はたして、ロシア=ウクライナ戦争の和平は可能なのだろうか。
冷戦後ヨーロッパ秩序の破壊
トランプ大統領が、停戦と和平に向けて動き始めたことで、プーチン大統領は大きな好機を手に入れることになった。そのプーチン大統領は、侵攻以前からその目標は一定している。それは、冷戦後のヨーロッパ秩序を自らののぞましいかたちへとつくりかえることである。
そのことについて、ロンドン大学名誉教授で、戦争研究の大家であるローレンス・フリードマン教授は、プーチンが「自らが現在の状況となった『根本的な原因』と考えているものをについて取引をすることを求めており、それは冷戦終結以後、ロシアにとって好ましくないヨーロッパ安全保障秩序の発展について交渉をすることを意味する」と論じている
[1]。それはどういうことであろうか。
プーチン大統領は、冷戦終結後のヨーロッパ秩序を根本から覆そうとする意向である。すなわち、帝国の復権である。プーチン大統領は繰り返し、ソ連崩壊を「20世紀最大の地政学的悲劇」と呼んでいる。また、冷戦の終わり方についても、プーチンはひどく憤慨し続けている。というのも、ロシアが領土、影響力、そして帝国を失うことになったからである
[2]。
ソ連崩壊から30年目となる2021年12月、プーチン大統領は国営テレビのドキュメンタリー番組で、次のように語った。すなわち、「私たちは領土の4割を失った。(中略)1000年以上かけて積み重ねたものの多くが失われた」
[3]。だからこそ、武力行使をしてでもそのような帝国を復権することを望んだのだろう。そのためには、ウクライナを自らの勢力圏に含めることが不可欠である。
冷戦後ヨーロッパ秩序の根幹を大きく動揺させているのは、プーチン大統領だけではない。アメリカのトランプ大統領もまた、異なる理由と、異なる方法で、それを大きく揺るがしている。2月12日、トランプ大統領はロシアのプーチン大統領と、1時間半にわたる長時間の電話会談を行った。それまでアメリカ政府は、2022年2月24日のロシアによるウクライナへの軍事侵攻開始後、プーチン大統領を含む政府高官に対して、個人制裁や資産凍結などを行ってきた。また、ウクライナ情勢をめぐり、国際刑事裁判所(ICC)は、プーチン大統領に戦争犯罪の疑いで逮捕状を出している。これらのことからも、バイデン政権下でアメリカ政府はそれまで、国際会議へのプーチン大統領の出席に強い抵抗を示してきた。
ところが新しく大統領となったトランプは、そのようなそれまでのアメリカ政府の従来の姿勢を大きく転換しつつある。そもそもトランプは、2022年のロシアによるウクライナ侵攻開始直後にプーチンを「天才」と賞賛して、これまで好意的な姿勢を示してきた
[4]。
そしてこの2月12日の電話会談では、プーチン大統領に対して、国際社会の復帰や外交関係の正常化を提案し、米ロ両国間でウクライナを外して停戦協定のための基本的な枠組みを創ろうとしている。他方でロシアはウクライナ問題で譲歩を得る見返りに、トランプ政権が重視するロシア産石油などの資源権益を提供する意向についても報じられている
[5]。このような米ロの接近は、欧州諸国に衝撃を与えた。
さらにその後の2月14日の、ミュンヘン安全保障会議でのJ・D・ヴァンス副大統領の演説に、ヨーロッパでは戦慄が走った
[6]。ジョージタウン大学教授のチャールズ・カプチャンによれば、「ミュンヘンでの雰囲気は、まるで葬儀のようであった」という
[7]。欧州諸国のリベラル勢力を一方的に批判して、移民問題こそが欧米における最大の政治課題と述べて、ドイツの右派ポピュリスト政党のドイツのための選択肢(AfD)を賞賛するなど、ヴァンス副大統領の演説は奇抜で特異な内容であった。アメリカのコラムニストのマイケル・ハーシュによれば、これはおそらく「国内のMAGAの聴衆をおもに魅了させようとするものであり、おそらくは2028年の大統領選挙の実質的なスタートを意味する」という
[8]。さらにこれは、従来の、「アメリカ・ファースト」を掲げて、対外軍事関与を縮小し、国内問題に専念するいわゆる「抑制主義者(restrainers)」がアメリカの政策立案において優勢となっていく転機となるかもしれない
[9]。このヴァンス副大統領演説では、ウクライナでの戦争や台湾有事にはほとんどまったく触れず、一方的に欧州諸国内での規範の問題や民主主義の欠如を批判して、極右政党の台頭を励ます内容であった。
トランプ政権はこれまで、ロシアとウクライナの「停戦」を4月20日の復活祭(イースター)までに実現したいとロシア側に伝えたと報じられている
[10]。そして、2月18日にサウジアラビアのリヤドにおいて、アメリカとロシアの高官のあいだで始まった2国間の停戦をめぐる交渉では、アメリカからはマルコ・ルビオ国務長官、そしてマイク・ウォルツ大統領補佐官、そしてスティーヴ・ウィットコフ中東担当特使が出席し、ロシアからはセルゲイ・ラブロフ外相とユーリ・ウシャコフ大統領補佐官が出席した
[11]。そこにはウクライナ代表は参加していなかった。同日の18日、トランプ大統領はフロリダの別邸マール・ア・ラーゴでウクライナでの戦争に関する記者団の質問に答えて、ウクライナのゼレンスキー大統領が選挙を行わない「独裁者だ」と批判した。さらには、ウクライナは「そもそも(戦争を)始めるべきではなかった。取引できたはずだ」と、あたかもウクライナが戦争を開始したような発言をした
[12]。これは、これまでロシアのウクライナ侵略を批判してきたバイデン政権からの大きな路線の転換である。
ヴァンス副大統領の演説とトランプ大統領の発言は、欧州諸国政府に衝撃を与えている。たとえば、ドイツの法律家で欧州議会議員のセルゲイ・ラゴディンスキーはあまりにもロシアに迎合したこのような姿勢を、「トランプによるプーチンへの贈り物だ」と揶揄した
[13]。たとえば、トランプ政権が考える三段階方式の和平提案において、それまでのロシアの和平提案に迎合し、最終的な平和協定の前にウクライナで大統領選挙を実施することへと圧力をかける意向である。ロシア政府からすれば、選挙干渉によって自らに望ましい候補者の勝利へと誘導し、その上でロシアに従順な新しいウクライナの大統領のもとで、ウクライナを属国し、自らに有利な領土変更を伴うような和平協定を締結できるであろう。
このようなことからも、ハーバード大学教授の国際政治学者のスティーブン・ウォルトは、いまや「アメリカが、ヨーロッパの敵となってしまった」と論じている。すなわち「1949年以来はじめて、アメリカ合衆国の大統領が単にNATOに無関心であったり、ヨーロッパの指導者たちを軽蔑したりするだけではなく、より積極的に大半の欧州諸国に敵対的となっていると確信する有力な理由が見られるのだ」
[14]。ウォルトはしたがって、これまでのような米欧間の摩擦や対立といった次元と、今回の対立は異なる点を強調する。
また、『エコノミスト』誌も同様に、このような情勢の急変を受けて、「鉄のカーテンが崩壊して以来、この1週間はヨーロッパにとって最も暗い週となった」と論じ、「ウクライナはたたき売られ、ロシアは再興しつつあり、ドナルド・トランプの下でアメリカはもはや、戦争が勃発してもヨーロッパを援助するためにやってくることを期待できなくなった」と記している
[15]。
欧州の戦略的自律は可能か
これらの一連の急速な情勢の変化にともなって、欧州諸国は緊急に対応が迫られた。そのようなことから、2月17日、サウジアラビアのリヤドで開かれる米ロ高官協議を前にして、マクロン仏大統領の呼びかけで欧州緊急安全保障会議が開催された。そこには、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、ポーランド、スペイン、バルト諸国と北欧を代表してデンマークと、それに加えてEUからは欧州理事会常任議長、そしてNATO事務総長が参加した。さらには、同日朝に、この会議への出席を前にして、イギリスのケア・スターマー首相は、イギリスが「現地に軍隊を派遣する用意と意思がある」と述べた
[16]。
とはいえ、10万人程度の兵力が必要と見積もられる中で、欧州諸国が実際にその規模の兵力を提供することはほとんど不可能と言われている。すでにドイツ政府とポーランド政府、さらにはイタリア政府が、明確にそのような兵力の拠出を拒絶している。また、財政的にも軍事的にも、イギリスからは1万人規模の兵力を集めることさえも不可能だと指摘されている。トランプ大統領のアメリカが繰り返し述べるように、ヨーロッパの安全保障をヨーロッパで自律的に守っていくためには、今後は英仏両国を中心とした欧州の主要国が指導的な役割を担わなければならない。アメリカにあまりにもこれまで依存してきたヨーロッパ諸国において、従来の認識と戦略の抜本的な転換が必要となっている。
1956年のスエズ危機において、英仏両国はアメリカ政府からの事前了解を十分にとらずに英仏のみで主導してエジプトに軍事介入をして、ソの結果としてアメリカとソ連政府からの強烈な反発を招いた。さらに米ソ両国は共同で国連安保理での非難決議を提出し、英仏両国の拒否権により葬り去られながらも、国際社会で孤立して、囂々たる非難を受ける、挫折を経験した。その後イギリスは英米「特別な関係』に依存する経路を辿り、他方でフランスは自律的な欧州統合の確立を摸索するという、別々の道のりを歩んできた。
それから70年近くが経過して、再び英仏が結集して自らの安全と利益を守るための行動をとることが求められている。それはトランプ政権が成立しても、それ以外の政権であったとしても、長期的には向き合うべき課題であった。ロシア=ウクライナ戦争の和平のためには、停戦合意が不可欠であり、そしてそれを担保するためのウクライナの「安全の保証」のための欧州独自の兵力の拠出が必要となる。米ロが接近して、協議を進めることと並行して、欧州諸国もまたはばひろい国際的な理解と協力を得ながら、そのような道を歩むことが必要だ。
[1] Lawrence Freedman, “Trump has put the ball back in Putin’s court on Ukraine”,
The Financial Times, 14 February, 2025.
https://www.ft.com/content/c81e2b9f-2ff5-4282-9f5a-8fa1a5b794da[2]スティーヴ・ローゼンバーグ「プーチン大統領は何を計画しているのか」BBC News Japan、2021年12月21日。
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-59736707 [3]同上。
[4]アンソニー・ザーカー「トランプ氏はロシアに同調、米の対ウクライナ方針を覆す」BBC News Japan、2025年2月20日。
https://www.bbc.com/japanese/articles/c4gdlly93lwo [5]「ウクライナ停戦協議、ロシアペースに 焦る米国見透かす」『日本経済新聞』(電子版)2015年2月19日。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN18DB80Y5A210C2000000/ [6] Christina Lu, “The Speech That Stunned Europe”,
Foreign Policy, February 18, 2025.
https://foreignpolicy.com/2025/02/18/vance-speech-munich-full-text-read-transcript-europe/[7] Michael Hirsh, “The New Meaning of ‘Munich’”,
Foreign Policy, February 19, 2025.
https://foreignpolicy.com/2025/02/19/europe-trump-vance-munich-security-conference-russia-ukraine/[8] Ibid.
[9] Ibid. なお、第二次トランプ政権における外交・防衛政策の構造については、森聡「第2次トランプ政権と外交・防衛(1) ―抑制主義者と優先主義者の安全保障観と同盟国へのインプリケーション―」SPFアメリカ現状モニター論考シリーズ ( No.173)、 2024年11月25日。
https://www.spf.org/jpus-insights/spf-america-monitor/spf-america-monitor-document-detail_173.htmlがもっとも優れたものといえる。
[10]「米『4月20日までに停戦』意向、ウクライナ巡り 通信社」『日本経済新聞』(電子版)、2025年2月1日。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB170OC0X10C25A2000000/ [11]「米ロ、ウクライナ停戦『全当事者受け入れ可能な方法で』」『日本経済新聞』(電子版)2025年2月18日。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN18CMC0Y5A210C2000000/ [12]「トランプ氏、ゼレンスキー氏を「独裁者」と 「偽の情報空間に生きている」との批判に反発」BBC News Japan、2025年2月20日。
https://www.bbc.com/japanese/articles/c9vyp8vkdx0o [13] “US Peace Plan for Ukraine ‘a Gift’ From Trump to Putin: EU Lawmaker”,
Newsweek, February 18, 2025.
https://www.newsweek.com/us-peace-plan-ukraine-gift-trump-putin-eu-lawmaker-2032616[14] Stephen Walt, “Yes, America Is Europe’s Enemy Now”,
Foreign Policy, February 21, 2025. https://foreignpolicy.com/2025/02/21/yes-america-is-europes-enemy-now/
[15] “How Europe must respond as Trump and Putin smash the post-war order”,
The Economist, 22 February 2025.
https://www.economist.com/leaders/2025/02/20/how-europe-must-respond-as-trump-and-putin-smash-the-post-war-order[16]「ウクライナ和平をめぐる協議、各国は何を望んでいるか」BBC News Japan、2025年2月18日。
https://www.bbc.com/japanese/articles/c5yeyy9819eo