【編集部付記】本稿は5月12・13日にヨルダン・アンマンで開催された第1回「日本・中東戦略対話(Japan-Middle East Strategic Dialogue)」への登壇に際して、著者の篠田英朗先生からROLESに提出を受けた英語による論考を日本語訳したものです。原文Hideaki Shinoda "What Japan should pursue in the face of the Gaza Crisis"はConference PaperとしてROLESウェブサイトに掲載されていますが、日本の読者のために著者に日本語版も作成いただきました。篠田先生はパネルI 「中東の安全保障アーキテクチャにおける日本の役割(Japan’s Role in the Middle East Security Architecture)」に登壇して報告し、パネルII「紅海における高まる緊張:発展しつつある日本の役割(Rising Tension in the Red Sea: An Evolving Role for Japan)」のモデレーターとして司会・討論を行い、パネルIV「中東の難民危機を切り抜ける:日本の対中東人道支援(Panel IV: Navigating the Middle East Refugee Crisis – Japan’s Humanitarian Assistance to the Middle East)」で登壇し、ガザ紛争のグローバルな波及に関する議論をリードしました。今回の会議はこの問題に関するただ一つの結論やコンセンサスを打ち出すことを目的としていませんが、本稿は会議で提起された一つの明確な議論として記録しておくことが相応しいと考え、英文の原文と並行して、和文のコメンタリーとして本ウェブサイトに掲載いたします。 現在進行中のガザ危機に直面し、日本が追求すべきこと、追求できることについて真剣に考えることが必要になっています。ガザで起こっていることは、全人類にとって明白な悲劇です。日本は、イスラエル・パレスチナ紛争に対して、海外援助や地域の外交ルート、国連などを通じて、長い歴史の中で関わりを持ってきました。日本が、ガザについて真剣に考えるべき多くの理由があります。状況を改善し、平和をもたらすために、どのような建設的な努力ができるか、真剣に検討していかなければなりません。
効果的な方法を見つけるのは確かに簡単ではありません。ガザの人々に前向きな貢献をする方法、ましてやイスラエル・パレスチナ紛争の複雑な問題の解決策を見つけることは、困難です。しかし、今のガザの危機から目を背け、日本が何かできるとしたら戦後復興の段階で事態が安定してからだろう、と漠然と述べるだけで済ませることが適切だとは思いません。現在命からがら逃げ回り、苦しんでいるガザの人々は、戦後復興の安定期といった架空の話を語る余裕はありません。あるいは彼らが、平和、尊厳、そして自決(self-determination)を望んでいることに、疑いはありません。そのことを聞いて確かめてみる必要はありません。たとえそれらを達成するのが非常に困難であるとしても、明白な点から目をそらすべきではありません。「将来の架空の話として、日本が簡単にできそうな復興支援の話だけ、それだけを聞かせてくれないか」と尋ねるのは、適切ではありません。
ガザについて議論するためには、多くの分析的な努力が必要です。日本のイスラエル・パレスチナ紛争に対する伝統的な立場は、まだ放棄されたわけではありません。しかし現実の進展を踏まえて調整する必要があります。そこでまず、ここでは、日本のイスラエル・パレスチナ紛争に対する伝統的な立場を要約し、その後、現在のガザ危機によって明らかになった三つの構造的変化を強調します。最後に、この危機に直面する日本の期待される立場について考察してみます。
日本のイスラエル・パレスチナ紛争に対する伝統的な立場
日本が、イスラエル・パレスチナ紛争の過程において、何か目立つことをしたという経緯はありません。関心は持っているのですが、積極的な関与をしようと試みたことまではありません。日本の立場は、常に外交上の懸念に基づくものです。イスラエル・パレスチナ紛争に関連する日本の外交上の懸念の基本構造は、米国への国家安全保障の依存と、アラブ諸国への石油依存という二つの柱で構成されています。日本の中東政策全体の枠組みを説明する際、これら二つの柱のバランスを取る行為として説明するのが通常です。
まず、日本の国家安全保障に対する米国依存は、日本のイスラエルとの関係に影響を与えます。日本は米国以外に軍事同盟メカニズムを持っていません。ただ米国が多くの軍事同盟国を持っているため、日本はアジア、オセアニア、ヨーロッパの他の米国同盟国と間接的な関係を持っています。イスラエルは、米国にとってすら、共同作戦を行うような国ではありません。しかし、米国がイスラエルを特別な国と見なしている事実は、必然的に日本の中東に対する立場に影響を与えます。第二次安倍政権以降の10年間ほどで、日本とイスラエル間の安全保障関連協力は堅実に発展しました。日本の政策立案者は、イスラエルを、対テロ対策、サイバーセキュリティ、インテリジェンスなどの分野で高度に進んでいる国だと見なす傾向があります。現在、日本の防衛省はイスラエルから攻撃型ドローンなどの武器購入を求めています。
他方で、日本は中東のアラブ諸国から輸入される石油に大きく依存しています。サウジアラビア、UAE、カタール、クウェートは、日本の石油輸入の90%以上を供給しています。これは、日本が中東政策を策定する際にアラブ諸国の感情に配慮する必要があることを示しています。
これら二つの柱のバランスをとることが、中東に対する日本の外交政策の基本的視座であり続けてきました。理想は、二つの柱が、調和をすることです。イスラエルとパレスチナ自治政府の双方が関与する米国主導の枠組みによる和平プロセスが進展すれば、日本はそのような動きを明確に支持し促進する立場を取ることができます。それ以外の場合、日本は二つの柱のバランスを取るのに苦労します。
日本はガザでの停戦やパレスチナ国の国連安保理および総会での加盟に賛成票を投じてきましたが、イスラエルや米国の激しい反対にもかかわらず、イスラエルを非難し、孤立させることは避けています。しかし本当に日本が「国際社会の法の支配」として推進するならば、ガザにおけるイスラエルの残虐行為を非難する必要があります。それは、あたかも日本にとって「ルールに基づいた国際秩序」が、米国と共に、ロシアや中国に対して使用する場合にのみ、適用されるものであるかのようです。
現在の日本の態度が望ましいものであるかどうかにかかわらず、ガザ危機によって示される構造的変化により、日本は、二つの柱のバランスを調整する必要があるかもしれません。ガザにおける危機に関して、日本を含む利害関係者が注意を払うべき三つの重要な点を、パレスチナ、中東地域、およびグローバルレベルで説明していきたいと思います。
パレスチナのレベルでの構造的変化
現在進行中のガザ危機が示す最初の変化は、ガザと西岸地区の分断です。二つの占領地は物理的に離れていますが、パレスチナ問題の歴史においては、一つの統一体を構成することが想定されてきました。両方の地域において、住民たちは、パレスチナ難民とその子孫たちを含んでいます。二つの地域の統一の仮定は、パレスチナ問題の歴史を通じて常に維持されてきました。オスロ協定によって代表される「二国家解決」は、ガザと西岸地区が一つの統一体を構成するという仮定に基づいています。
しかし、事実として、二つの地域は非常に異なる運命を辿っています。ガザは数万の死傷者を伴う殺戮と破壊に苦しんでおり、一方、西岸地区はイスラエルの兵士と入植者による圧迫と嫌がらせに苦しんでいます。ガザではハマスが優勢であり、一方、西岸地区ではパレスチナ自治政府が依然として有効ですが、その権威は失墜しています。ガザは世界的な注目を集めており、一方、西岸地区は周縁的に扱われています。この危機が続くと、ガザと西岸地区の統一性を維持することはますます困難になるでしょう。
パレスチナ紛争の長期的な平和的解決を追求する際には、このパレスチナ地域の分断の要因を慎重に考慮する必要があります。
中東地域のレベルでの構造的変化
中東地域政治のダイナミズムが変わりました。ガザ危機は、イスラエルとアラブ諸国の対立としてだけ理解できるものではありません。中東地域政治の文脈でも、ハマスを支援し、ハマス支持勢力であるレバノンのヒズボラやイエメンのフーシ派を支援するイランの存在は、無視できません。シリアやイラクの中央政府もイランと友好的です。広い意味での中東に位置する地域大国のトルコは、イスラエルを最も厳しく批判する国の一つであり、必ずしもイランと対立していません。ガザ危機の地域レベルでの影響は、イスラエルとアラブ諸国だけにとどまりません。
アブラハム合意の流れは、2023年10月7日以前に、再び進んでいたようです。バーレーン、UAE、モロッコ、スーダンは、米国のトランプ大統領の任期中にイスラエルの主権国家としての存在を認める合意を結びました。2023年10月7日以前には、サウジアラビアもこれに続くと言われていました。これは、地域の多くのアラブ諸国がイスラエルとより友好的になっていたことを示しています。この流れは、2023年10月7日以後、イスラエルの苛烈なガザ侵攻以降は、非常に難しいものになっています。しかし、アラブ諸国は、もはやイスラエルに最も敵対的な勢力ではありません。むしろ、イランがイスラエルの主要な敵としてネットワークを広げています。国連安全保障理事会で拒否権を持つロシアが、イランに接近する意図を隠していません。トルコはイランと対立する動機を持っていません。イランはアフガニスタンのタリバン政権やインドとも良好な関係を保っています。
この地域政治のダイナミズムの変化は、イスラエル・パレスチナ紛争の長期的な平和解決を追求する際に慎重に考慮されるべきです。
グローバルなレベルでの構造的変化
ガザ危機は、グローバルなレベルでの国際社会の現状に関する二つの物語の対立を劇的に示しています。一方では、イスラエルは米国の支持を受けて「対テロ戦争」の物語を進めようとしています。イスラエルは、自国の軍事作戦がテロリスト集団であるハマスを排除することを目的としていると主張しています。米国はこの見解を支持しています。多くの西側諸国もこれを支持し、イスラエルがグローバルな対テロ戦争を戦っていると信じたいようです。彼らは、イスラエルの行動に批判的な者を全てに、お前はハマスだ、というレッテル貼りをし続けています。
他方では、世界のほとんどの国々が、ガザ危機を反植民地闘争の視点から見ています。南アフリカは、イスラエルのジェノサイド防止条約違反を国際司法裁判所に訴えた際、自国のアパルトヘイトの経験を、ガザ危機への関心の理由として、言及しました。かつてのヨーロッパ帝国の旧植民地のアジア・アフリカの地域で、イスラエルの立場を支持する国はありません。この反植民地闘争の論理は、世界的な反西洋感情の進展を促しています。たとえば、BRICSがG7主導の西側陣営に対抗して米ドルの支配に挑戦しようとしている背景にも、反植民地主義としての反西洋主義の思想が関わっていると言えます。
米国やヨーロッパ諸国の中においてすら、たとえば学生運動の広がりといった現象を見れば、二つのグローバルな物語の競争が、大きな思想運動となっていることが見えてきます。ガザでのイスラエルの軍事行動に抗議する学生たちは、イスラエルが人種差別主義を持つ植民地権力としてガザでジェノサイドを行っていると考えています。イスラエルを支持する米国や他の欧米諸国政府、さらには親イスラエル的な大学は、植民地主義としてのジェノサイドの協力者です。学生運動の抗議が、『オリエンタリズム』の著者エドワード・サイードが40年間所属していたコロンビア大学で始まったことは象徴的です。ところが米国やいくつかのヨーロッパ諸国の当局による学生の厳しい弾圧は、学生をテロリストの支持者と見なす偏った認識から生じているようです。彼らは、非暴力の学生や教職員を抑圧するために過度に残忍な手段に訴えることが多く、まるで対テロ戦争におけるテロリスト対策を、非暴力的な抗議をしているだけの自国民に対して行っているかのようです。
ガザ危機をめぐり日本に期待される立場
日本は、上述の三つの構造的変化に対応して、伝統的な枠組みを調整する必要があります。第一に、日本は、ガザのための平和プロセスに積極的に関与することをためらうべきではありません。これは、ヨルダン川西岸を無視するべきだとか、パレスチナ国家のアイデアを放棄するべきだという意味ではありません。しかし、二つの独立した平和プロセスの導入が全体的なパレスチナ国家の実現につながると期待される場合、ガザにおける独自のアプローチであっても、それを追求すべきです。
中東地域のレベルでは、日本はイランに配慮を施し、トルコを重視する役目を担うべきでしょう。また、加えて、バングラデシュ、インドネシア、マレーシアなどの主要なイスラム諸国を含む国際フォーラムを促進するべきです。日本は、中国、インド、ロシアなどの追加の勢力も平和プロセスに参加するよう奨励することができます。計画、実施、およびモニタリングを行うためのより広い国際フォーラムが非常に必要とされます。ガザ危機の難しさと複雑さを考えると、米国であろうとどこであろうと、単一の国が調停者および保証人として全てを仕切っていくことはできません。
グローバルなレベルでは、日本は「二重基準」なしに国際社会における法の支配を普及させるために最大限の努力を払うべきです。特に国際司法裁判所(ICJ)や国際刑事裁判所(ICC)を支持することで、日本は国際法に基づく法の支配の物語がガザに適用されるようにするべきです。日本がこれらの物語の闘争に積極的かつ建設的に貢献しないのであれば、国際社会での存在感を失うことになります。
日本の経済力は衰退しています。財政赤字は深刻です。日本は平和プロセスに真剣に貢献する意図があるならば、寄付する可能性のある金額を表面的に約束することだけをもって日本の関与の説明としていく悪習をやめる必要があります。これは他の伝統的な西側の援助国にも当てはまります。彼らの世界経済におけるGDPシェアは減少しています。国連の活動や援助機関の予算も減少しています。日本は、特にアジアの非伝統的なOECD DAC諸国をより広い国際フォーラムで導くための触媒としての役割を果たさなければなりません。
日本の潜在力は、西洋諸国と非西洋諸国の間で機能する触媒として、より広い国際フォーラムを推進する可能性にあります。新しい平和プロセスは、ガザに対して柔軟で、新しいパートナーに開かれ、対テロ戦争の行き詰まりの物語から解放されるべきです。日本単独では多くを成し遂げることはできませんが、パートナーと協力することでより多くを成し遂げることができます。なんといっても、ガザの人々のために、さまざまなパートナーと協力することこそが、日本の国益にかなうことです。