コメンタリー

2021 / 06 / 03 (木)

ROLES COMMENTARY No.4 辻田俊哉「2021年5月のガザ地区情勢等に関するイスラエル側の評価」

はじめに
2021年5月、イスラエル・パレスチナ間において暴力が再発し、ガザ地区情勢等が悪化した。本稿では、これまで に定期的に生じてきた衝突と比べて今回の衝突に見出される異なる特徴をあげたうえで、今回の衝突がイスラエル に有利に働くのか、あるいは、不利に働くのかというイスラエルにおける議論の主な論点を整理していきたい。

1.イスラエル内の議論

2021年5月21日、イスラエル政府とハマース等のパレスチナ自治区ガザ地区を拠点とする非国家武装集団による 停戦合意が発効した。
停戦後の会見においてイスラエルのネタニヤフ首相は、「(イスラエル)国民とハマースがま だ知らないことは多くある」と述べ、11日間継続した軍事作戦(「壁の守護者」作戦)により、ガザ地区情勢をめぐる「均 衡状態を変更させることができた」と主張した。
そうした主張とは対照的に、イスラエル内では、今回の衝突でハマースが新たな均衡を追求し、「ゲームのルール」が変更される可能性があるとの脅威論もみられた。その見方では、ハマー スが今回の衝突でエルサレムのイスラーム教の聖地アル=アクサー・モスクの「守護者」を自任しそれを域内外に向 けアピールすることで、ガザ地区のほか、衝突前から高まっていた東エルサレムや西岸地区におけるパレスチナ人 の支持をさらに高め、加えて、イスラエル国内のアラブ系住民の支持を少しでも多く獲得するという目的が達成され たと論じられた。 
ガザ地区情勢に関しては、これまで幾度も情勢が悪化した。例えば、ハマースがガザ地区を武力制圧した2007 年以降、紛争当事者間の衝突の規模が比較的大きく、暴力が激化・再発した例として、2008~09年、2012年、2014 年の衝突があげられる(このことから、海外メディアの一部では今回の衝突のことを「4次ラウンド」とも呼ぶ)。過去の例に鑑みて、上述のように、イスラエル内では今回の衝突による均衡の崩れが自国に有利に働くのか、あるいは、 不利に働くのかについて議論がある。
本稿では、過去の暴力が激化・再発した衝突と比べて今回の衝突に見出され る異なる特徴をあげたうえで、イスラエルにおいて議論された有利・不利に関する議論の主要な論点を整理してお きたい。

2.これまでの衝突と異なる特徴

今回の衝突でも、過去と同様、非対称紛争においてしばしばみられる要素が確認された。具体的には、紛争当事 者間における非対称的な関係として、力関係(軍事力、経済力、技術の差など)、政治的目的(現状維持対現状変更)、 目的を果たすための戦略目標(相手の戦闘能力の破壊対相手の戦意喪失)、目標達成のための手段(先端技術兵 器対ロケットなど)、犠牲者数などの要素があげられる。
例えば、イスラエルの目標の一つに関し、先にあげた会 見でネタニヤフ首相は、今回の作戦目標が「抑止に基づく平穏」を取り戻すことであったと述べた。「抑止増強」や それに基づく「平穏を取り戻す」といった作戦目標は、2008年12月から2009年1月にかけ、ガザ地区情勢が悪化し た際に用いられて以降、暴力が激化した度に掲げられた内容であり目新しさはない。また、過去に暴力が再発した 2012年11月や2014年7月から8月の例が示すように、仮にその目標がある期間イスラエル側の主張通り達成された としても、今後もまた暴力が再発する可能性があることを意味する。 
過去の衝突と同様な特徴がみられた一方で、今回の衝突では、イスラエルはこれまでとは異なる対応を求められ た。5月10日の作戦初日から、イスラエルは「マルチフロント」(複数の「戦線」)において情勢が同時に悪化すること をいかに阻止し、あるいは情勢が悪化した際にマネジメントし、リソースを割くことができるかが問われ、複雑で多 面的な対応が求められたのである。
イスラエルの研究者の論考や新聞紙の論調で指摘されたマルチフロントとして、 次の5つがあげられる。1)ガザ地区におけるハマースやパレスチナ・イスラーム聖戦(PIJ)との武力衝突、2)イスラ エル国内のユダヤ系・アラブ系住民の混在地区における緊張、3)4月から徐々に高まっていったエルサレム(旧市街 や東エルサレムを含む)における民族的および宗教的な緊張、4)4月末にパレスチナの選挙が延期される以前から自治政府の弱体化が指摘されてきた西岸地区情勢、5)5月初旬にもイスラエル国防軍(以下、IDF)が空爆したとさ れるシリアと、レバノンを含む北部境界情勢、である。これらの「紛争の場」からなるマルチフロントに対応するため、 イスラエルの戦略目標とは、ガザ地区におけるハマース等の弱体化と同時に、可能な限りフロント間の「リンケージ」(連なり)を減らすことにあったとも指摘された。過去でもマルチフロントにおいて情勢が同時に悪化することへの 懸念が示されてきたが、今回の衝突ではその対応問題がより差し迫った問題として捉えられたといえる。

3.戦略目標に関するイスラエル内の評価

 上述の戦略目標の一つ目に関し、過去の衝突時の作戦と比べ、今回のガザ地区における軍事作戦に対するイス ラエル内の評価は高い。
肯定的な意見の根拠として、過去の衝突と異なり、地上戦を行うことなく自国の犠牲者が 少なかったことがあげられた。加えて、これまでの衝突を経ての準備が指摘された。具体的には、境界線沿いにセ ンサー付きの壁を地中に埋めたことで今回の衝突でガザ地区境界からイスラエル内への侵入を図る越境型の攻撃 を阻止したことや、ガザ地区における「メトロ」とも呼ばれる地下トンネルの破壊のための準備(作戦が正式に承認 されたのは2020年8月31日であったとする報道もあり)、情報収集能力や作戦遂行能力向上のためのデジタル化、 などがあげられた。
今回の衝突でこれらの作戦遂行が可能となったのは、デジタル化の要因が大きいとする見方も 少なくない。例えば、イスラエルにおける著名なジャーナリストであるR・ベン=イシャイは、今回の衝突が IDF にとっ ての初めての本格的な「デジタル戦」であったと指摘する。
 一方で、戦略目標のもう一つの側面であるマルチフロントとフロント間のリンケージを減らすことについては、準備と対応のあり方が問われた。例えば、冒頭にあげたハマースの目的に対する準備と対応が十分であったか否かという点である 。
加えて、特に議論されたのが、イスラエル国内のユダヤ系・アラブ系 住民の混在地区における衝 突に対する準備と対応のあり方である。5月10日に、IDF がガザ地区での空爆を開始して以降、イスラエル国内のユ ダヤ系・アラブ系住民の混在地区(ロッド、ヤッフォ、ハイファ、アッコー等)において両住民の一部が衝突した。極右 主義者のユダヤ系住民によるアラブ系住民に対する襲撃事件が発生したほか、中部のロッドでは11日、アラブ系住 民によりシナゴーグや車が放火され、ロッドの市長は「内戦」であると述べた。 
過去には、ユダヤ系・アラブ系住民の混在地区における緊張緩和を目的として、強制的な措置が講じられたこと もあった。例えば、エルサレムのアル=アクサー・モスク付近における衝突を発端として、刃物や車両を用いた襲撃 事件が相次いだ2015年9月以降の情勢を受け、同年11月にはイスラエル政府は「イスラエルのイスラーム運動」北 支部(Northern Branch)を非合法化する決定を行った(同運動は1970年代にはじまり、1996年に北と南支部に分裂)。 その理由の一つとして、同支部がユダヤ系・アラブ系住民の混在地区において抗議運動等を計画したとされた。
今回の衝突では、ユダヤ系・アラブ系住民の混在地区における衝突の発生は予想外の事態として受け止められ、 政府や警察等の対応の遅れが非難された。停戦後の24日には、イスラエル国家警察は衝突に参加したアラブ系イスラエル人の大量逮捕、中でも犯罪集団の構成員や関わりを持つとされる者を主なターゲットとする作戦を開始す るとした。また短期的な対策のみではなく、中長期的な対策のあり方も問われた。イスラエルではアラブ系が人口 の2割を占めるが、さまざまな差別も根強い。共生や社会的統合のあり方が改めて問われる形となり、その実現可 能性をめぐっては評価が二分しているのが現状である。

4.マルチフロントとリンケージへの対応問題

停戦の見通しが立った頃、1)ガザ地区での作戦を継続しつつも、2)イスラエル国内のユダヤ系・アラブ系住民の 混在地区と3)エルサレムにおける緊張が一定程度和らぎ、さらに、4)西岸地区と5)北部境界では事案が発生した ものの情勢がエスカレートすることがなかったことで、マルチフロントとその間のリンケージに関する対応問題の緊 急度が低下したとの見解もみられた。
とはいえ、過去に暴力が再発したように、今後も様々な要因が重なる形でガ ザ情勢がまた悪化する可能性があり、その都度マルチフロントに加え、フロント間のリンケージに対して対応が求められる可能性はある。  
こうしたマルチフロントとリンケージへの対応問題の受け止め方こそが、冒頭にあげた均衡の崩れはイスラエル 有利、あるいは不利に働くのかという認識を左右するといえる。今回の衝突を経て有利な状況を作り出すことが できたとする見方は、1)~5)それぞれ個別のフロントや紛争の場に対する準備と対応の実現可能性に基づいて評 価を行う。
これに対し、今回の衝突でイスラエルは不利な状況に追い込まれたとする立場は、1)~5)の個別の状況 に加え、それぞれのフロント間に複雑なリンケージが生じることで、マルチフロントの情勢が同時に悪化しかねかな いことを懸念する。リンケージへの対応問題の緊急度と重要度に基づいた認識であるともいえる。  また後者の場合、マルチフロントとフロント間のリンケージを減らし、あるいは断ち切るための対応を求めるが、 そのためには現実的な取組として政治的努力が不可欠であることはこれまで度々指摘されてきた。とはいえ、停滞 と混迷が続くイスラエル政治状況からは、そうした可能性を見出すことは難しい。結果、マルチフロントにおける紛 争の場の数が減らず、フロント間のリンケージも減らすことが困難であると今後の情勢に対し一層の懸念が示され る可能性も考えられる。
(2021年5月24日脱稿)

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