現在のロシアにおいては、戦争に反対する声が上がりにくい状況にある。実際に前線に送られた兵士の家族たちも例外ではない。2023年秋には動員された兵士の妻たちが夫の帰還を求めて一時的に行動を起こしたことが注目を集めたが、すぐに下火になった 。むしろ、政権はこうした家族の声を象徴的に利用しようとしている。2022年11月には母の日に合わせてプーチンが兵士の母親たちと面会したことが広く報道された 。この会合の出席者は事前に選別されていたことが指摘されており、遺族の母親を含む参加者が大統領への支持を表明する様子が演出された。
 しかし、歴史を振り返れば、兵士の家族たちは政権に対して従順とは言い難い存在であった。1990年代には、兵士の母親たちは戦争に対する反対を強く訴えていた。チェチェン戦争に反対する兵士の母たちが行進した様子は国内外で広く報道された。彼女たちは国際的なネットワークも持っており、そのインパクトは無視できるものではなかった。
 それでは、彼女たちの声はいったいどのようにしてかき消されていったのか。本稿では、母親たちがどのように声を上げ、そして、その余地がいかにして狭められていったのかを明らかにする。
 「兵士の母」運動は、ロシアの社会運動の一つとしてこれまでも大きな注目を集めてきた。まず、Caiazza(2002)は、政治的機会構造論に依拠し、「兵士の母委員会」が主に政策形成に与えた影響を論じた。Jagudina(2009)は、兵士の母組織における母性というイデオロギーがどのように構築され、変化を遂げてきたかを実際の組織関係者の言説分析から明らかにしている。さらに、Eichler(2012)は、ジェンダー論の立場から、兵士の母の運動体が反戦にも、戦争擁護に向かいうるという二面性を指摘している。もっとも、既存の研究では2010年代以降の展開は十分には取り上げられていない。本研究では、これらの研究成果から明らかになったことを踏まえ、近年の報道 を統合する形で、「兵士の母」運動の全体像を描き出すことを目指す。
 本稿では、ロシアで最も長い歴史を持つ「兵士の母委員会」(Комитет солдатских матерей)に注目する。同組織は、各地の兵士の母団体を束ねる全連邦的ネットワークとして1989年に結成された。その後、組織の分裂を経て、そのモスクワ組織である「兵士の母委員会連合」(Союз комитетов солдатских матерей)がその後継団体とみなされている。以下では便宜上、初期の「兵士の母委員会」、および分裂後の「兵士の母委員会連合」を総称して「兵士の母委員会」と呼ぶ。なお、兵士の母を銘打った組織として有名な「サンクトペテルブルク兵士の母(Солдатские матери Санкт-Петербурга)」は「兵士の母委員会」には加盟していない 。
 以下では、まず、「兵士の母委員会」が誕生してから今に至るまでの活動の概要を紹介する。1990年代は母親たちの声が届いた時代として位置づけられるが、その後は次第に影響力が低下していった。そのうえで、母親たちの声がかき消されていった理由について考察する。

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