1. はじめに―日本再軍備と沖縄基地政策の連動
本稿は、1952年から1954年という比較的短い期間に焦点を当て、日本の再軍備過程と米国の沖縄政策決定過程とが、相互に連動しながら日米安保関係の基本的なあり方にどのような影響を及ぼしたのかを再検討することを目的とする。この時期は、1951年9月8日のサンフランシスコ講和条約および旧日米安全保障条約の締結、ならびに1952年4月28日の両条約発効による日本の主権回復を挟みつつ、再軍備、基地、領土処理、経済援助といった複数の政策領域が同時並行的に調整された時期であった。その意味で、1950年代前半は、日本の再軍備と沖縄基地政策とが交錯しながら、戦後の日米安保関係の基本的な構造が形成されていく過程において、特異な位置を占めている。後年に制度化された安保体制は、この時期に下された一連の政策判断を前提として成立しており、1950年代前半は、日米安保関係の方向性がなお流動的に模索されていた形成期として位置づけることができる 。
日本の再軍備をめぐっては、講和交渉期から日米の間に齟齬があった。朝鮮戦争を契機として、米国が日本に対し地域安全保障の担い手としての役割を期待した一方で、日本側は憲法9条、国内の世論、財政的制約といった要因から、急速かつ本格的な再軍備には慎重な姿勢を維持した。本稿の問題意識は、日本再軍備をめぐる日米の認識のずれが、日本本土における再軍備政策と、沖縄を中心とする米軍基地政策とを、互いに切り離せない政策領域として浮かび上がらせる結果をもたらしたという点にある 。
先行研究においては、日本の再軍備過程と米国の沖縄政策決定過程との連動性について、とりわけ1953年半ばから年末にかけての政策転換期、すなわち米国の政策文書NSC125/6(1953年6月)を中心とする時期において重要な指摘がなされてきた。日本の再軍備が米国の期待を恒常的に下回ることを前提に、沖縄の施政権を長期にわたり保持する米国側の方針が明確化されたこの局面は、両政策領域の連動が示唆される局面として評価されている 。他方で、こうした連動性が当該時期に限定された一過性の現象であったのか、それともその後の政策判断においても何らかの形で持続したのかについては、これまで十分な検討が行われてきたとは言い難い。
本稿はこの点に着目し、1953年から1954年にかけての政策過程において、日本再軍備と沖縄基地政策との連動性がいかなる形で存続していたのか(もしくは、していなかったのか)を、仮説的に検討することを目的とする。その際、本稿は当該期の政策決定過程を網羅的に再構成することを目的とするものではなく、1950年代前半に形成された日米安保関係の構造が、その後の政策選択にどのような影響を及ぼし続けたのかを考察するための分析枠組みを提示する点に主眼を置く。したがって、本稿の議論は暫定的・試論的性格を有するものであり、今後の実証研究によって検証・修正されることを前提としている。
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