コメンタリー

2024 / 05 / 28 (火)

中井遼「リトアニア大統領選挙(2024)が持つ東アジア政治との関係」(ROLES Commentary No. 24)

[ROLES Commentary No.24] [English Version]

2024年5月26日にリトアニア大統領選挙の決選が行われ,ナウセダ[ナウセーダ](Gitanas Nausėda)現大統領とシモニーテ(Ingrida Šimonytė)現首相が対決し,前者が約4分の3の票を得て勝利した。リトアニアは従来の対露強硬路線に加えて,いまや中国に対してヨーロッパの中で最も強硬な立場もとっており,その大統領は外交政策に関与するから[i],その政治状況は日本や東アジアを取り巻く国際政治とも無縁ではない。結果として現職大統領が再選したため,それを通じた大きな変更は予期されないものの,選挙過程で見られた諸事象の中には,東アジアや日本とのかかわりの中でいくつか興味深い側面がある。
 
・リトアニアとインド太平洋戦略
近年のリトアニア政治は従前の対露強硬政策を維持するのみならず,東アジア国際関係との関与を積極的に展開してきた。第1が中国との対決姿勢である。2021年5月,中国が中東欧諸国との間に進めてきた経済協力枠組み「17+1」から脱退し,中国と距離を取る姿勢を明確にした。さらに同年11月には,リトアニア国内に「台湾」名での事実上の大使館(代表処)設置を認めた[ii]。これらの動きから中国はリトアニアに対して経済制裁を行うものの,リトアニア側は屈服することなく外交政策を維持し,EUも巻き込んだ若干の混乱を経て,最終的に中国側が制裁継続を諦める結果に終わっている。第2が,台湾および日本との協力志向である。先述の台湾との関係強化に加えて,2023年にリトアニア外務省は新たなインド太平洋戦略文書[iii]を発出し,その中では日本,韓国,オーストラリア等との関係強化を表明し特に日本と台湾へ多く言及していた。2021年の新型コロナパンデミック時に台湾がワクチン不足に苦慮していた際,台湾に最初に支援を行ったのがアメリカと日本とリトアニアだったのは象徴的でもある。

その背景の詳しい説明はここでは省略するが,端的に言えばリトアニアにとっての伝統的同盟国である米国との関係強化や,伝統的脅威であるロシアの対中接近や価値観外交が背景にあり,特に2020年10月の総選挙後に誕生した右派・祖国連合政権がこの流れを推し進めてきた。外交の実務的部分をリードしたのは議会多数派で政府与党の祖国連合であり,同党所属のシモニーテ首相のみならず,同党党首でもあるG.ランズベルギス(Gabrielius Landsbergis)外務大臣のリーダーシップも大きな存在感を示してきた。ナウセダ自身は,駐リトアニア台湾代表処の存在自体には肯定的であるものの,名称については検討の余地があるとしており,祖国連合政権との間でバランスをとる立場にあった。
 
・選挙結果と選挙戦の持つ含意
 続投が決まったナウセダ大統領は,もともとは職業政治家ではなくエコノミストである。リトアニア中央銀行に勤務したのち,リトアニア最大の商業銀行の一つSEB銀行に勤めていた。やや余談ではあるが,同氏はこのエコノミスト時代に第2回日・バルトセミナー(2009年)のゲストとして日本に来ている[iv]。2019年の大統領選挙に出馬し,政治の世界に足を踏み入れた。その際にもシモニーテと決選投票を争っていたので,今回の選挙が彼女との2回目の対決であった。先述の通り,シモニーテが現与党で右派の祖国連合の候補である一方,ナウセダは無所属ではあるものの野党中道左派のリトアニア社会民主党からの後援を受けていた。

5月12日に行われた第1回投票では8人の立候補者のうち,ナウセダが44.0%,シモニーテが20.1%の票を得た。ナウセダの優位は全国的なもので,シモニーテが首都のビリニュスで優位を確保した以外では,ほぼすべての地方自治体でナウセダ大統領が第一位の得票を得ていた。ただし,いずれの候補も過半数票を得られなかったため,上位2名のみに候補者を絞った決選投票が,2週間後の5月26日に行われた。当該決選投票ではナウセダが74.4%の得票を得て圧勝した。ナウセダは第1回投票よりも多くの得票を得た-すなわち第1回投票で3位以下の候補者に投票した有権者からの支持をさらに集めていた-のに対し,シモニーテはほとんど得票数を伸ばすことはできなかった(表1)。
 
表1:2024年リトアニア大統領選挙結果
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出典:リトアニア中央選挙管理委員会(https://www.vrk.lt/2024-prezidento/rezultatai)から筆者作成
 
 現政権与党候補のシモニーテが敗北したといっても,それが現状のリトアニアの対露対中強硬外交に対する世論からの異議申し立てであるとはみなせない。そもそも,現職大統領の再選であるのだから,現状路線を有権者は概ね支持し追認していると考える方が自然であろう。祖国連合は近年支持率が低調に推移しており(図1),一方で最大野党社会民主党が高い支持を得ている中で独自候補を立てずナウセダ後援を決定していたから,今次大統領選挙は単にその政党支持状況の反映であるとみることもできる。一般論として,政党支持の形成において外交政策の違いが与えるインパクトはあまり大きくない。とはいえ,現状の支持率のままでいけば10月の国政選挙で祖国連合が下野する蓋然性は極めて高く,同党が率いてきた近年のリトアニアのインド太平洋戦略に変化がみられる可能性は否定できない。現最大野党の社会民主党が,必ずしも祖国連合よりも外交的にハト派というわけではないが(むしろ政策領域によってはよりタカ派な部分もあるが[v]),10月までの国内政治状況の変化には留意が必要だ。
 
図1:政党支持率推移
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注:水色実線-祖国連合支持率,赤色実線-社会民主党支持率
出典:Europeelects.eu
 
 第1回投票以前の選挙戦では,(結果的に第3位となった)ヴェゲレ(Ignas Vėgėlė)候補にも多く着目が集まっていた。事前の世論調査では,ヴェゲレ候補支持の方がシモニーテ候補支持を上回って出ていたこともあり,ナウセダとヴェゲレ候補の決選投票になる可能性も憂慮されていた。大学教員・法曹であり,職業政治家ではないヴェゲレ候補だが,しばしば極右の陰謀論者でポピュリストと形容される。実際,彼はかつて祖国連合のもととなった最右翼派の政党に属していたところ,合併後の祖国連合の政策が穏健すぎると脱退した経緯を持ち,新型コロナパンデミックの時期には,反ワクチン運動などにもかかわっていた。

ただ,実のところ個々の政策への賛否については現職ナウセダに近く,そのため,第1回投票の敗退後にはナウセダ支持を表明してもいた[vi]。地元放送局LRTが各候補に15の重要争点への賛否を聴取しているが,両者の政策的立場で大きく異なっていたのは,台湾代表処の維持の賛否と(ナウセダが賛成,ヴェゲレが反対),国内の教育問題だけであった[vii]。もし両候補が決選投票に進んでいた場合には,対東アジア外交がリトアニア大統領選挙の主要争点となっていた可能性もあったのだ。

・「親中親露派」の背景
 第1回選挙の結果に対しては,第3位のヴェゲレ候補に限らず,第4位・第5位の候補もいわゆる「陰謀論者」とも形容される候補たちであったことに着目する見解もある[viii]。3候補の集めた票を集めると30%程度であり看過できる状況ではない。特に着目されたのが,第5位のヴァイトゥクス(Eduardas Vaitkus)候補と彼の得票状況である。強烈な反NATO,親露親中の意見を表明し[ix],極めて独特な候補であるが,彼のような候補に対する支持が一部地域では一番の支持を集めている点に着目が集まっている(図2)。その二つ,南東部シャルチニンカイ地区と北東部ヴィサギナス市は,前者はポーランド系少数民族が多く後者はロシア語系話者が多く住む地でもある。だからといって,当地において親露親中候補が多く票を得たことにつき,原因を単に民族的差異に求めたり,ロシア語系話者だから親露親中なのだと単純視したりすべきではない。むしろそれは社会的承認であるとか政治的ネットワークの問題である。現地報道でも,従来の政治家がこの地を票田として無視してきたことや,福祉の不足があるなか,ヴァイトゥクスだけが積極的にこの地の人々に語り掛けてきたことを重視する見解が示されている[x]。
 
図2:リトアニア地方自治体別の大統領選第一回投票時における第1位候補
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注:オレンジ=ナウセダ勝利地域,青=シモニーテ勝利地域,黄土色=ヴァイトゥクス勝利地域
出典:リトアニア中央選挙管理委員会(https://rinkimai.maps.lt/rinkimai2024/prezidentas/)
 
特にヴィサギナスの状況は日本とも無縁ではない。ここにはかつて(リトアニアのみならず)バルト諸国全体に電力供給を行いエネルギー安全保障を担うはずであった,ヴィサギナス原発の建造計画があり,それを日本の日立が支援する計画があった。旧ソ連時代からあったイグナリナ原発がEU加盟基準の問題から2009年末に廃炉を余儀なくされ[xi],それに代わる原発が必要だったからである。一度は議会承認まで経たこの建設計画は,2012年の諮問的国民投票の前に突如ふってわいた電力価格高騰を危惧する反原発キャンペーンのあおりを受け,わずかに反対多数となり頓挫した。当該反原発キャンペーンにはロシアからの様々な支援が流れ込んでいた[xii]。

ヴィサギナス住民のほとんどは,かつてソ連中から集められた技術エリートとその子弟であり,まただからこそこの地にはロシア語を共通語や母語とするものが多かった。同地の生活は一変し,人々は「社会的不安や失業だけではなく,人生の意味喪失にも直面した」[xiii]。2014年のウクライナ紛争以降は,十把一絡げに「ロシア語系住民の地」として国際メディアから好奇と警戒の目にも晒された。かつて科学エリートが集い豊かな生活を享受する人々の地は,苦境と忘却の地となり,新たに肯定的なアイデンティティの在り方を模索する中にある[xiv]。同国において非主流派ともいえる親中・親露派が支持される地盤には,それ固有の事情がある。
 
・おわりに
 今回のリトアニア大統領選挙結果は,結果だけ見れば現職大統領の再選であり,そこから即座に大きな外交的変動は予想されないかもしれない。しかしそれは同時に,近年,対中警戒を強め日台関係を強化してきた政権与党の敗北も意味しており,今年の秋に行われる議会選挙とその結果がもたらす影響へ着目する必要も意味している。また,3位以下の候補者として,親中親露候補に票が集中する地域も見られたが,それを単に民族的差異や陰謀論思考の現れとして単純視せず,国内や地域政治の理解とともに見ることが重要でもある。


[i]リトアニアの政治体制は半大統領制である。直接選出の大統領と,議会に基盤を持つ首相がそれぞれ執政権を分有し,主に大統領が外交・安全保障の大枠を,首相(と内閣)が国内政治や経済領域を担当する。
[ii]他の欧州諸国にも代表事務所を設置するところはあるが,北京との関係を考慮して「台北」名を使うのが通常であった。
[iii] Ministry of Foreign Affairs of The Republic of Lithuania (2023) For a Secure, Resilient and Prosperous Future. https://urm.lt/uploads/default/documents/ENG%20Strategy.pdf
[iv] Nakai, Ryo (2022) “Expanding and Evolving Baltic Studies in Japan: Content Analysis of Bibliographical Databases” Journal of Law and Political Science, 50(1/2), 137-153.当時の日本外務省の案内はInternetArchiveから閲覧可能である。https://web.archive.org/web/20120721103938/https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/europe/baltics_sem/index.html
[v] Grigas, Agnia (2014) The Politics of Energy and Memory between the Baltic States and Russia, Routledge.
[vi] Broga, Karolis (2024) “Vėgėlė endorses Nausėda in presidential runoff” delfi.lt, 2024.05.24 15:40: https://www.delfi.lt/en/politics/vegele-endorses-nauseda-in-presidential-runoff-120018963
[vii] LRT.LT (2024) “Prezidento rinkimai 2024” https://www.lrt.lt/detaliai/prezidento-rinkimai-2024. 政策比較については既に見られなくなっているが,Internet Archiveより当時の情報が確認できる。
[viii] Jokubauskas, Vytautas (2024) “3rd, 4th and 5th place is shared among dumbest conspiracy theorists, moronic populists and all out idiots. So roughly, around 30 percent of electorate is susceptible for Fico/Orbanist type nonsense. 30% is a worrying ammount, yet not enough to have any meaningful influence.” https://x.com/vytejok/status/1789930692874207270
[ix] Stankevičius, Aaugustas (2024) “Lithuanian presidential candidates’ views on foreign policy” LRT.lt, 2024.05.09 08:00 https://www.lrt.lt/en/news-in-english/19/2268003/lithuanian-presidential-candidates-views-on-foreign-policy
[x] Edvardas Špokas, Arneta Matuzevičiūtė (2022) Vaitkaus pergalė Šalčininkuose ir Visagine – ar kalti tik rusiški lankstinukai? LRT.lt 2024.05.19 22:22. https://www.lrt.lt/naujienos/lietuvoje/2/2276526/vaitkaus-pergale-salcininkuose-ir-visagine-ar-kalti-tik-rusiski-lankstinukai
[xi]正確に言えば,1号炉は2004年に廃炉されたが,2号炉については移行措置として2009年までの操業延長となっていた。
[xii] Vilmer, Jean-Baptiste Jeangène, Alexandre Escorcia, Marine Guillaume, and Janaina Herrer (2018) Information Manipulation: A Challenge for Our Democracies, report by the Policy Planning Staff (CAPS) of the Ministry for Europe and Foreign Affairs and the Institute for Strategic Research (IRSEM) of the Ministry for the Armed Forces, Paris, August 2018; Jermalavičius, Tomas et al. (2022) Developing Nuclear Energy in Estonia: An Amplifier of Strategic Partnership with the United States? International Centre for Defense and Security.
[xiii] Dovydaitytė, Linara (2022) “(Re)Imagining the nuclear in Lithuania following the shutdown of the Ignalina nuclear power plant” Journal of Baltic Studies, 53(3): 415-436.
[xiv] Mažeikienė, Natalija and Eglė Gerulaitienė (2022) “Negotiating post-nuclear identities through tourism development in the ‘atomic town’ Visaginas” Journal of Baltic Studies, 53(3): 437-457.

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