はじめに
ロシアによるウクライナ侵攻が起こって以来、ロシアのプーチン大統領への注目はこれまで以上に増している。それは、ロシアの権威主義体制が個人化(personalize)し、意思決定におけるプーチン大統領の役割が増しているために、プーチン個人の思想や世界観がこの戦争に強く影響しているという前提に基づいている(Suslov 2024)。もちろん、それだけでこの戦争の原因が説明できるわけではないのは言うまでもない。しかし、現在の政治体制において圧倒的な権力を持つプーチンの意思が、ロシアによるウクライナ侵攻を説明する1つの要因であることは間違いないだろう。
本稿は、このような問題意識に基づいて、ロシアの大統領の言説変化を分析するものである。その中でも本稿が特に注目するのは、反西側主義(anti-Westernism)がいかに形成されたかという問題である。なぜなら、プーチンをはじめとするロシアの高官は、この戦争を「ウクライナとの戦争」というよりも、「ウクライナの背後にいる西側諸国との戦争」と位置付けているからである。例えば、プーチンは開戦直前の2022年2月21日に行った演説において、ウクライナ政府は西側諸国に操られており、その政府が西側寄りの政策をとることによって政権を構成するオリガルヒは富を溜め込む一方で、国民は困窮する羽目に陥っていると主張した(Путин 2022)。このような主張は開戦後もことあるごとに繰り返されている。
また、こうした見方は、ロシア指導部だけでなく、ロシア国民にもある程度受け入れられている。ロシアの世論調査機関レヴァダ・センターによれば、ウクライナでの死者や負傷者の責任の所在を問う質問に対し、責任がウクライナにあると回答した人が2022年4月に17%(24年6月では11%、以下カッコ内の数値は同様)、ロシアと回答した人が7%(6%)であったのに対し、米国とNATO諸国と回答した人は57%(65%)にのぼった(Левада-Центр 2024)。この結果は、ロシア政府が繰り返してきた反西側的言説が国民にも浸透していることを示している。
それでは、このような反西側的な言説は、いつ頃からどのように発展してきたのだろうか。本稿では反西側主義を、「西側」の価値観、制度、影響力がロシアのアイデンティティ、主権そして安全保障上の脅威となると考える政治的立場と定義する。このような考えが、ウクライナ侵攻開始後に生まれたものではなく、以前からロシアの政治エリートによって繰り返されてきたものであることは間違いない。しかし、それがどのようなプロセスを経て発展し、過激化していったかについて、実証的な検討は行われていない。本稿では、2000年から2024年までの大統領年次教書演説を量的・質的に分析することで、その変容過程を明らかにする。
本稿の主張を先取りして述べると以下のようになる。まず、反西側主義には2つの側面がある。ひとつは、価値観やアイデンティティに関わる規範的側面であり、もうひとつは国際秩序や国家間の勢力関係に関わる地政学的側面である。この2つの側面がどのように変化したかをたどると、長らく両者はそれぞれ独立して展開していた。しかし、2014年のユーロマイダン革命とクリミア併合を経て、両者は結びつきを強め、より過激化していった。ロシアの独自性を強調する言説自体は以前から大統領の言説の中に存在していた。ただし当初、それは必ずしも西側の価値観や政策そのものを否定するものではなかった。しかし、国内外の出来事を経る中で西側に敵対的な言説が徐々に蓄積し、2014年を境に大きく変化したのである。
以下では、まず次節で先行研究において反西側主義がどのように論じられてきたかを整理する。そのうえで、本稿の分析手法と使用するデータを紹介する。第3節では、反西側主義を実際に分析できる形に整理・定義し、第4節と第5節では量的分析と質的分析を行う。
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