旧共産圏の地域研究に携わる各国の若手研究者らが中心となって、新たな国際学会「RUTA(中欧、南東欧、東欧、バルト、コーカサス、中央アジア、北アジア研究グローバル対話学会)」 が設立された。ロシアによるウクライナ全面侵攻を受け、この地域のこれまでの研究がロシアを重視しすぎ、ウクライナを含む他の国々の視点を軽視してきたのでは、との反省がきっかけとなった。その第2回年次会合が2025年6月、ウクライナ、ハンガリー、スロバキアの三国の国境地帯で開かれた。
RUTAは何を目指すのか。ロシア・ウクライナ戦争が続く中でどうすれば研究や交流を進められるのか。RUTA設立を主導したスイス・チューリヒ大学教授でカザフスタン出身のソ連史研究者、ボタコズ・カッシムベコワ博士 (44)に聞いた。
(聞き手:国末憲人 東京大学先端科学技術研究センター 特任教授)
RUTA第2回年次総会の分科会風景
――RUTAはどのようにして誕生したのでしょうか。その背景にはどのような考えがあったのですか。
ロシアの全面侵攻が始まって明らかになったのは、多くのメディアがウクライナに関する真の知識を持たず、ロシアに偏った視点からこの地域を見ていることでした。ウクライナについてロシアが言うままに信じる人もいました。たとえば、ロシアのプロパガンダは「ウクライナ社会は分断されている」とか「多くのウクライナ人がロシアへの編入を望んでいる」とかと主張していました。驚くべきことに、十分に教育を受けた人々、尊敬を集める学者たちでさえ、そのナラティブを信じたのです。私は大きなショックを受けました。それは、植民地意識に他ならなかったからです。
なぜ彼らはこんなプロパガンダを信じるのか。私は問い始めました。「それは間違っている」「それは不正確だ」と、私たちは最初の数カ月間言い続けました。でも、批判するばかりだと疲弊する。私は、「文句を言うだけでなく、何かを築かなければ」と決心しました。
東欧研究の最大の学会は、米国を拠点とするASEEES(スラブ・東欧・ユーラシア学会)ですが、ここは大きな問題を抱えています。米国の学術手法はロシア研究に重点を置き、主要なネットワークもロシアからの研究者との関係に偏っています。もちろん、それは構造的に理解できることです。主要な文書館はモスクワとサンクトペテルブルクにあり、その地域の研究者と交わることが自然であるからです。しかしながら、そこには帝国的な視点も介在します。中心地にいる研究者は、地域全体を代表して語る権限を与えられるからです。このような構造的な偏り自体が、ロシア中心主義の学風を生み出しているのです。
ウクライナ侵攻に関する新聞記事の見出しをいまだに覚えています。そこには「ロシア、旧ソ連共和国を攻撃」とあったのです。「ウクライナ」という名前さえない。世界にとって存在するのはロシアだけで、その他はすべて「旧ソ連の共和国」に過ぎなかった。私たちは、この状態を変えたいのです。
一方で、例えばウクライナやジョージアの研究者は、自国について語るときにしばしば招かれますが、ロシアについて語る機会はほとんどありませんでした。
RUTAの目的は、こうした帝国主義的構造を乗り越えることです。これまでの学会で、非ロシアの国同士の研究者が互いに交流することはほとんどありませんでした。討論会は通常、「ポーランド史」「バルト史」「中央アジア」といった具合に、国や地域ごとに分かれて開かれます。そのため、ポーランドの研究者がカザフスタンの研究者と話す機会はめったになく、カザフスタンの研究者がジョージアの研究者と接点を持つこともほとんどありません。学界は、より広範な帝国的分断をそのまま反映していたのです。「新しい学会が必要だ」と私が感じたのは、そのような時でした。たとえばジョージア人、エストニア人、ポーランド人が同じ討論会で対話できる場が必要だったのです。私たちは、国境を越えた討論会を欲しています。ウクライナ人が中央アジア人と、中央アジア人がポーランド人と、語り合うようにしたいのです。
加えて、これまで学界で周縁に追いやられていた声を中心に据えたいと思います。全面侵攻以降、チェチェン人やクリミア・タタール人の経験がどれほどの会議で取り上げられたでしょうか。彼らの声と視点なしには、この地域を理解することはできません。
私たちはまた、この地域以外の研究者や活動家、アーティストと一緒に、私たちの過去や社会について議論したいと考えています。とくに、かつて植民地支配を受けた社会を研究する人々と対話したい。私たちが言う「グローバル対話」とは、そういう意味なのです。
――今年の年次総会には、旧ソ連出身の学者以外にも多様な参加者が集まったそうですね。
はい。今年は約170名が参加しましたが、最近の攻撃の影響で多くの人がウクライナへの渡航に不安を抱きました。昨年は500人以上の応募がありましたが、全員を受け入れることはできませんでした。単に、攻撃を避けるためのシェルターが足りなかったからです。
今後は少なくとも1000人、さらには数千人規模の大きな組織へと発展させたいと考えています。まずは、地域間で強いつながりを築き、持続可能な学術ネットワークをつくりたい。
現在は、それぞれの地域について相互理解を深め合っています。すでに、第一線の地域研究者を招いたウェビナーシリーズも始めました。セルビアの抗議運動、ジョージアのレジスタンス運動、クリミア半島での日常生活、ロシアの先住民族コミュニティ、ロシアに住むアジア人の経験、といったテーマを取り上げました。現場から専門的な知見を提供しています。
かつては、たとえばモルドバやジョージアについての知識を欠いている場合、まずモスクワの学者に相談するのが常でした。でも今はこう言えます。「私たちの専門家たちがここにいます。彼らは私たちの会員なのです」と。誰かが「モルドバの研究者はどこにいますか」と聞いてくる場合にも、「私たちのネットワークがあります」と答えることができます。
私たちの多くは若手研究者です。だから、この組織も私たちとともに成長しますし、私たちも組織とともに成長していきます。
――なぜ協会の拠点をウクライナに置くことにしたのですか。
ウクライナにいることによって、ものの見方が変わるからです。加えて、ウクライナ人の研究者、特に男性は多くの場合、戒厳令下で出国ができません。西側やロシアの研究者が自由に移動し、学会に参加し、おいしい食事やコーヒーを楽しめる一方で、ウクライナの男性研究者が攻撃下に置かれているのは、極めて不公平に思えます。
いったいどれだけの大学が爆撃されたでしょうか。どれほど多くの教授が避難を余儀なくされたでしょうか。国際会議をウクライナで開催するのは、連帯を示す行為です。彼らが外に出られない以上、私たちが中へ入っていくべきです。
停電はしばしば起きます。電気もネットも使えず、知的生活を維持するのが難しくなります。だからこそ、私たちはウクライナの知的活動の発展を支援したいのです。
個人的には、将来はキーウで会合を開くべきだと考えています。それは、今もなお抵抗を続けるこの国に感謝の意を示す方法だと思います。
――昨年の会合はロシア・ウクライナ戦争がメインテーマだったといいますが、今年はジェンダーやマイノリティ問題といったより広範囲なテーマに焦点がやや移ったと聞きました。
その通りです。毎年新しい会合委員会が結成され、彼らがテーマを決めます。周縁化された声に耳を傾けることは非常に重要だと、私は思います。そうした声は異なる視点を提供してくれるからです。
ウクライナ自体、ある意味で周縁化された存在でした。今、人々は「なぜウクライナが攻撃されたのか」と問いますが、それはたぶん周縁化されていたからなのでしょう。
――RUTAは、新たなテーマ、これまで見過ごされてきたテーマを敏感に拾い上げて取り組んでいるように見えます。ただ、あなた方と従来のASEEESの研究者との間には、大きなギャップがあるようにも思えます。その両者の中間にいる研究者を取り込もうとしなくていいでしょうか。
まさにそのために、私たちはASEEESで分科会を企画したのです。私たちはその場で、自分たちの研究を発表しました。私をはじめ何人かのRUTAの会員はASEEESに参加し、その場でRUTAについて語っています。
私たちはこう呼びかけています。「私たちのところに来てください。ウクライナを訪れてください。きっと見方が変わりますよ」と。
RUTAはASEEESと、競争しているわけではありません。多様化を図っているのです。「ASEEESにももちろん価値はありますが、私たちは何か新しいことをしています」と伝えたいのです。もし私たちのモデルが説得力を持てば、彼らも私たちのアプローチを取り入れるかもしれません。私たちもまた、過去の経験や新しい試みに学んでいます。互いに良い影響を与え合えるはずです。
――RUTAは若くて進歩的な印象を受けますが、これに取り残されたと感じる年配の世代をどう取り込むのですか。
私たちは、世代を超えた対話を強く望んでいます。今年は米国の高名な年配研究者が何人か参加する予定でしたが、直前でキャンセルになりました。トランプ政権などの政治的要因によって米国を離れるのをためらったのではないかと思います。
私たちは、ベテランの研究者たちにも参加してほしいと願っています。同時に、私たちは新たな知的運動を築いているのであり、新しい世代の研究者たちに活躍の舞台を提供しています。彼らが将来、その舞台を担ってくれるよう期待しています。
――会合はすべて英語で実施されているそうですね。ウクライナ語の通訳をつける予定はありますか。英語が得意でない優秀なウクライナ人研究者もいると聞きますし。
私たちも本当に通訳をつけたいと思っていますが、現時点では財政面の負担が大きい。今のところ、すぐにそれを実現するのは非常に難しい状況です。
――ロシアの学者はRUTAの会議に参加していますか。
いいえ。ロシア国籍者は現在ウクライナに入国できません。昨年は、ロシア出身でドイツ国籍を取得した人が参加しました。チェチェンなどの他の地域から申し込んできた人もいましたが、彼らは今もロシアの旅券を持つため、招待することができませんでした。彼らは、私たちの努力に感謝し、この試みへの支持を表明しました。
私たちの活動はまだ始まって2年目に過ぎません。将来のために強くて進歩的な基盤を築くことを最優先に考えたいと思います。
ボタコズ・カッシムベコワ氏
Dr. Botakoz Kassymbekova
チューリヒ大学東欧史教授。ベルリンのフンボルト大学で現代史の博士号を取得し、ニューヨークのコロンビア大学で客員研究員を務めた。専門はソ連史、スターリン主義、ポスト・スターリン主義、ロシア帝国主義史。著書に、中央アジアでのソ連による植民地戦略を追った「Despite Cultures: Early Soviet Rule in Tajikistan」 (University of Pittsburgh Press, 2016)。