米国でドナルド・トランプ氏が大統領に就任し、欧州ではイタリアのジョルジャ・メローニ首相の影響力が強まっている。フランスの政治学者でローマ在住のティボー・ミュゼルグ (Thibault Muzergues) 氏は、これら2人を「ポスト・ポピュリズム」時代の政治家と位置づけ、フランスの右翼マリーヌ・ルペン氏ら伝統的なポピュリスト政治家とは大きく異なると考える。その分析と論理を聞いた。
(聞き手:国末憲人・東京大学先端科学技術研究センター特任教授)
ティボー・ミュゼルグ氏
■ トランプは変わった
――トランプ氏についてはこれまで、典型的なポピュリスト政治家とのイメージが定着していました。伝統的な右派や左派の垣根を越えて大衆の不満を集める政治家としてですが。
ティボー・ミュゼルグ:もはやそうではありません。彼は確かに、1期目はポピュリストだったといえるでしょう。しかし、現在では明確な右派の政治家です。さらに言うと、彼は2016年以前に「右派」が持っていた概念の一部を再定義したともいえる。すなわち、米共和党は伝統的な右派政党に回帰し、しかしずっと急進的な姿を示すようになったのです。
――トランプ氏が右派でありポピュリストではないとすると、右派であること、左派であることの定義とは何でしょうか。
ティボー・ミュゼルグ:トランプ氏は、何が右で何が左かの定義を部分的に修正したといえます。
今日の右派と左派の違いは、主に経済に対する考え方だと、私は思います。右派は市場により信頼を置き、左派は国家により信頼を置いています。一方、社会問題に関しては、右派は保守的で、左派は進歩的です。つまり、私たちは以前、80年代の右と左の区別に戻ってきたのです。
――それは、地方に住む人と都会に住む人の意識の違いに似ていませんか。
ティボー・ミュゼルグ:選挙での支持層という点では確かに、地方在住者と大都市やその周辺の人々との違いが反映されているでしょう。保守派はしばしば田舎に強い基盤を持ち、進歩的な人々は都市に基盤を置いていますから。例えばフランスでは、1789年のフランス革命、1848年の革命、1871年のパリ・コミューン、そして1968年の5月革命の際にもこのような現象が見られました。パリと地方では大きな違いがあり、それは現在に至っても続いています。
ただ、米国では状況が変わりつつあります。都市部のエリートの一部がトランプ支持に回っているのです。その象徴がイーロン・マスク氏です。マスク氏は2020年大統領選でバイデン氏に投票し、当時はトランプを危険なバカだと考えていました。今はトランプ氏を支持しています。彼だけではありません。シリコンバレーの起業家たちは、今やトランプ支持に傾いています。1980年代に米国のエリートの一部がレーガンの革命に徐々に結集していったのと同じ現象です。
1950年代と60年代の共和党内部には、一種の反乱を志向する保守主義が存在しました。それは、予定調和に対する闘争でした。雑誌『ナショナル・レビュー』を創刊したウィリアム・F・バックリーがその一例です。1964年にジョンソンに対抗した共和党候補バリー・モリス・ゴールドウォーターもその1人でした。彼はある種、2016年のトランプのような存在です。ゴールドウォーターは怒れる愚者として扱われましたが、一方で米国の選挙地図を塗り替えました。彼は、それまで民主党に投票してきた米南部の貧しい白人有権者の一部を取り込みました。彼は共和党のイデオロギーも再定義しました。ゴールドウォーターの遺産を引き継いだのがニクソンであり、レーガンがそれに続きました。
この話については、マックス・ブートの著書をお薦めします。ロナルド・レーガンに関する魅力的な伝記です
[i]。
今でこそ、私たちはレーガンをエスタブリッシュメント側の人間だと考えていますが、実際には彼は反逆者でした。彼はいくつかの理念において極めて保守的でした。カリフォルニア州知事に選出された1970年代には、彼はファシストとさえ見なされたのです。
今のトランプ氏をレーガンと同じレベルに置くわけではありませんが、エスタブリッシュメントとの関係や支持層に関して、トランプ氏はレーガンとかなり似た道を歩んでいるように思えます。その場合、彼はすでに、これまで存在してきた支配構造を改変しているのですから、構造事態をあえて覆す必要はないでしょう。イタリアのメローニ氏もやはり同様の方向性を持っています。
――トランプ氏は変わったということでしょうか。
ティボー・ミュゼルグ:2016年、トランプ氏はまさに、貧困化を恐れる白人労働者階級と白人中産階級の願望を担った人物でした。彼は今、ずっと幅広い米労働者階級に加え、リバタリアン的な見方を持つ米エリートの一部の支持も受けています。
■ 支配構造と化したメローニ
――私たちは今ローマにいますので、イタリアのメローニ首相に焦点を当てたいと思います。2022年の就任当初、彼女は「右翼ポピュリスト」と見なされ、政権運営に懸念を抱く人もいました。しかし、今や彼女は欧州で影響力のある政治家と見なされています。この政権をどう位置づけますか。
ティボー・ミュゼルグ:権力者となった場合には、必然的に他国の首脳と妥協せざるを得ません。メローニ氏を見ると、彼女は完全にそのような構造に組み込まれている人物と映ります。一方で、マスク氏やトランプ氏とは非常に良好な関係を築いている。このようにして、彼女は自らが望む方針を推進するうえで、最適な立場を築きました。すなわち、もっと保守的で右派的な欧州の建設です。メローニ型の右派はエリートと連携しようとする志向が強く、エリートたちと一緒に仕事を進めようと考えています。実際彼女は、現ビジネス相のアドルフォ・ウルソのように元右翼政党「国民同盟」内部でエリートだった人物を側近として置く一方で、駐米大使からマリオ・モンティ政権下で外相も務めたジュリオ・テルツィ・ディ・サンターガタ氏のような人物も自党の上院議員として取り込んでいます。彼らは、これまでの支配構造の一角を占めてきた人々です。
意図してのことではないかもしれませんが、メローニ氏自身も支配構造の一部となることに成功し、むしろ彼女自身が支配構造と化したのです。そこが、フランスのルペン氏との大きな違いです。私が見るに、ルペン氏はいまだ、支配構造を転覆させたいのか、それともメローニ氏と同じようになりたいのか、自分自身でわかっていません。これは、制度の違いも一因です。イタリアの制度では、自分1人で権力を握ることはできません。とても難しいのです。一方、フランスでは「大統領選挙に勝利する」だけで、権力を握ることができる。ハンガリーほどではないですが、似たようなものです。
――メローニに関して言えば、移民問題に対する厳しい態度が目立ちます。特に不法移民をアルバニアに移送する政策は、社会で物議を醸しました。
ティボー・ミュゼルグ:象徴的な試みです。アフリカ諸国に向けた「私たちのところに来てもアルバニアに送られるぞ」とのメッセージです。この伝えるとことが非常に強かったので、イタリアに向かう移民の数は大幅に減りました。欧州はまた、アフリカ諸国にも資金を提供し、チュニジア、モロッコ、エジプトから法集に人々が渡らないようにしました。これはまだ安定性を欠く合意であり、いつでも交渉をし直すことができるのですが。
――移民問題以外の面ではどうでしょうか。メローニ政権は比較的順調ですか。
ティボー・ミュゼルグ:特にフランスのマクロン大統領と比べた場合はそうでしょうね。彼女は豊かな可能性を持っています。今の欧州で安定した政権を維持しているのは彼女だけです。あちこちから満遍なく声をかけられ、特に米国での評判がいい。トランプ氏とも特権的な関係を築いています。すべて完璧に進んでいるように見えます。
最大の懸念は、コロナ禍への経済対策として欧州連合(EU)が設けた復興基金から多くの補助金を受け取っていることです。この基金はまもなく終了しますので、使える資金もなくなり、事態はややこしくなります。
もう一つの懸念は連立政権です。連立の相手である政党「フォルツァ・イタリア」は弱体化していますが、党首のアントニオ・タヤーニ副首相兼外相が党内を掌握し、連立内部でも他を寄せ付けない中心的な役割を果たしているため、安定はしています。右翼「同盟」党首のマッテオ・サルビーニ副首相兼インフラ相も弱体化し、党内に造反分子を抱えています。ただ、サルビーニ氏が離党すると党内の大分部分が彼に付いていってしまう恐れがあることから、誰も彼を追い出そうとはしません。従って現在、メローニ氏にとっての真のライバルは不在で、党内の力のバランスも安定していることから、理想的な状況だといえるでしょう。
その状況が変わりかねない要素は2つあります。1つは、ベルルスコーニ一族が政界に進出し、フォルツァ・イタリア内の勢力図が変化する可能性です。もう1つは、現在「同盟」が統治を担っているヴェネト州とフリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州の2州で2025年に州知事選挙があることです。ルカ・ザイア氏とマッシミリアーノ・フェドリーガ氏という2人の知事は、2期連続で務めているため、再選挙に立候補する資格が憲法上ありません。この2人は、それぞれの地域を極めて効果的に統治しており、人気も高いのですが、もはや知事にはなれない。これらの影響でフォルツァ・イタリアと「同盟」に新たな指導者が生まれれば、大きな問題もなく統治できる条件をメローニ氏に与えてきたバランスが崩れる恐れも出てきます。そうなると、メローニ氏はこれまでとはまったく異なる状況に身を置くことになります。彼女は、この新しい環境に果たして対応できるか。今のところ答えはありません。
■ ポピュリズムを抜け出せないルペン
――トランプ氏とメローニ氏がポスト・ポピュリズム時代の右派政治家だとすれば、フランスの右翼「国民連合」の最高実力者マリーヌ・ルペン氏についてはどう分析しますか。
ティボー・ミュゼルグ:マリーヌ・ルペン氏が本当に右派なのかどうか、まだよくわかりません。彼女は自らを右派と定義したことすらありません。それは、彼女の政党「国民連合」にとっても問題となっています。2024年12月、ミシェル・バルニエ内閣が崩壊したとき、彼女は不信任決議案で左翼と連携しました。
――左翼と右翼のコラボですか。
ティボー・ミュゼルグ:そう、コラボです。彼らは、内閣を崩壊させるために協力しました。ただ、彼らが新政権を樹立するために協力するかというと、そのような姿は想像できません。
――ネガティブな協力関係だったというわけですね。
ティボー・ミュゼルグ:その通り、ネガティブな協力をするのみです。左翼政党を率いるジャン=リュック・メランション氏は、必ずしもルペン氏の敵であるとはいえません。メランション氏が大統領になるには、決選でルペン氏との一騎打ちに持ち込む以外にないからです。逆に、ルペン氏が大統領に選出されるには、メランション氏を対抗馬とするしかない。
――メランション氏については後ほど論じましょう。ルペンに関しては、メローニと比べやはりポピュリストとしての性格が強いように思えます。
ティボー・ミュゼルグ:イタリアでは、すでにメローニ氏率いる安定した政権が存在します。フランスは依然としてポピュリズム革命の段階にあり、政治家とエリートが対立しています。エリート層と国民の間、パリと地方の間には、極めて明確なギャップがある。ただ、これは私に言わせると「灯滅せんとして光を増す」状態です。ルペン氏は、現在のメローニ氏よりも、5年前のサルビーニ氏に似ている。ポピュリズムの世界に依然として浸かっているからです。
マクロン氏が大統領任期を終えて政治の表舞台から去る時、ルペン氏が現在持っている政治的な存在理由はそれでも残るでしょうか。私は疑問に思います。つまるところ、彼女の政治闘争のすべてはエリートとの戦いであり、マクロン氏はエリート主義の究極の象徴となっているのです。だから、マクロンがいなくなると、彼女の将来も不透明になる。彼女は、この大衆とエリートの分裂こそが国民連合の旗印であり、その分断こそが国民連合への支持の源泉である、と考えています。拙著『ポスト・ポピュリズム』
[ii]で書いたことですが、問題は、私たちがもはや、大衆とエリートの分裂の時代にいるのではないことです。時代は、右派と左派の分断に逆戻りしています。マリーヌ・ルペン氏は依然として、彼女に力を与えてくれてきたポピュリズムから抜け出せないでいるように思えます。
――フランスはいつかイタリアのようになると思いますか。
ティボー・ミュゼルグ:そう思いますが、そのためには政治家の刷新が欠かせません。いつか、例えばガブリエル・アタル前首相とジョルダン・バルデラ国民連合党首が大統領選決選で戦う日も来るでしょう。問題は、フランス政治を現在支配している3人、マクロン氏、ルペン氏、メランション氏がともに、エリートと民衆の分断を維持することによって自らの地位を守っていることです。この3人の主を追い出さないことには、状況は変わりません。
――フランスでは、実業家のヴァンサン・ボロレ氏がテレビ局や新聞社を買収して右派メディア・グループをつくり、右派勢力と右翼勢力をまとめようとしているようです。
ティボー・ミュゼルグ:
彼は、より右派的なメディアの世界を構築することに成功しました。彼はまた、右派右翼の団結も望んでいます。ボロレ氏の問題――結局のところそれは右派右翼を団結させたいすべての人の問題でもあるのですが――は、それをルペン氏抜きでやりたがっていることにあります。ボロレの関心は、自分に都合よく経済が回ることにあり、ルペン氏の政策だと経済が壊滅的な打撃を受けるだろうと彼はよくわかっている。しかし、右派右翼の連合はルペン氏を中心にしか実現できません。なぜなら、他の誰も持ち得ない選挙での支持をルペン氏は得ているからです。
1年後に状況がどうなっているかはわかりませんが、今の政府を見ていると、真の中道右派が誕生する可能性も十分考えられます。中道右派が20%前後の支持を得れば、国民連合抜きの右派連合を形成する可能性もあります。ただ、まだそのような状況にはありません。
――メローニ氏はかつて右翼の活動家でしたが、今では保守政治家に成長しました。ルペン氏にも同じ変化を期待できないでしょうか。
ティボー・ミュゼルグ:いずれはルペン氏、あるいはジョルダン・バルデラ氏の周囲に、その進化を助けてくれる人たちが集まることを期待したいと思います。国民連合の問題は、ルペン氏とその側近たちが自由主義経済を全く志向していないことです。ルペン氏の銀河に引き寄せられる人々は、依然として極めて国家主義的であり、フランス至上主義的です。彼らは明確に反体制志向を持っており、往々にして親ロシア的な傾向もうかがえます。
2024年、国民連合内でジョルダン・バルデラ氏が台頭し、経済政策が右派的な方向に変わりました。これに対してルペン氏は危機感を抱き、主導権を取り戻すべきだと決意しました。私は国民連合の支持者ではないし、彼らに投票したこともありません。にもかかわらず、総選挙で国民連合が第1党になった際。私はバルデラ氏が首相に就任するべきだと考えました。現行の制度の中で彼がうまく振る舞えるのか、大統領と議会という安全弁を備えたうえでテストをする機会だと思ったからです。しかし、結局それは実現せず、国民連合は10年前の状態に逆戻りしてしまった。これは、フランスの民主主義にとって必ずしも良いことではありません。
マリーヌ・ルペン氏
■ メランションと2002年のトラウマ
――フランスの左翼に関する分析をうかがえればと思います。かつて英米やスペインなどで人気を博した左翼ポピュリズムは、どこの国でも人気を失い、ブームは終わったように見えます。しかし、フランスではメランション氏が依然として侮れない存在です。
ティボー・ミュゼルグ:通常の選挙を見ると、メランション氏はいつも6%から10%の得票です。彼の、言いたい放題の態度とポピュリズムには、誰もがうんざりしています。彼の問題は、大統領選挙になると急に手ごわい存在となることです。世論調査を見ると、2017年と2022年の各大統領選挙におけるメランション氏への支持率は20%前後で変わっていません。
メランション氏は、左派に有力な政治家が誰もいない状態を享受しています。漠然と左派を支持する人々は、中道で、彼らに言わせると右寄り過ぎるマクロン氏に、投票はできません。だから、次回も同じことが繰り返される可能性があります。社会党に真の候補者が現れるような状況にならない限りですが。
メランション氏支持層が中心になった選挙集会=2024年6月30日、パリ
本当の問題は、メランション氏が大統領選挙で決選投票に勝ち残る場合にあります。今では、左派支持は少数派にとどまっており、せいぜい20~25%程度しかありません。決選に進むには、左派が団結しなければならない。左派の友人たちによると、その根底にあるのは2002 年の精神的苦痛です。 2002 年の大統領選挙決選には、(社会党候補でなく)右翼のジャン=マリー・ルペン氏が進出しました。それは彼らにとって真のトラウマとなったのです。以後、大統領選で左派が分裂するのは御法度となりました。
現在も、彼らは依然として、決選に進むためには左派が団結しなければならないとの考えを抱いています。人々はメランション氏に飽き飽きしているものの、彼らの政治領域には結局、彼ほどの存在感を示す人物が他にはいないため、彼に投票するしかないのです。
――フランスはまだポピュリズムの時代が続いているようですね。
ティボー・ムゼルグ: だからフランスは遅れているのです。私たちはもはや、体制対反体制、あるいはポピュリズム対支配構造といった分断状態にはありません。欧州は、もっと伝統的な左右の分断の時代に戻っているのです。
この件に関しては、ポピュリストがまさに台頭しているドイツも同じ問題を抱えています。ドイツには、左翼ポピュリズムを体現するザーラ・ヴァーゲンクネヒト氏の党派と、右翼ポピュリズム「ドイツのための選択肢」(AfD)があります。両者とも権力に対して妥協を許さない哲学を持ち、体制を転覆させようとしています。それはパンチを浴びせる作戦であり、支配体制を破壊しようとする意志に基づいています。
――ポピュリズムを動かしたのは人々の「怒り」でしたが、今ヨーロッパ社会に広がっているのは、怒りとは少し違う感情のようです。たとえば、「不安」でしょうか。
ティボー・ムゼルグ:「怒り」から「不安」への変化はあるでしょう。世界の経済中心が欧州や大西洋からアジアや太平洋に移る一方で、多くの欧州人は世界における欧州や自国の地位が失われることを懸念しています。この不安は、怒りとは全くの別物です。怒りは、人々を動員するうえで何らかの触媒となり得ますが、不安によって人々を動かすのははるかに困難です。
また、「疲労」への変化も起きています。フランスやドイツにはまだ多くの怒りが残っていると思いますが、イタリアではむしろ疲労感が広がっています。物事は以前よりもましになっており、今後も何とかなるだろうという感覚はあります。現状に満足しているわけではありませんが、今後は現在よりも悪くなるかもしれないとも思っています。その感覚がメローニ氏を支えています。私たちは、ある種のノーマルな状態に戻りつつあるのです。正常化が実現した感覚は、あちこちで共有されています。
今日、私たちは2つの中間にいます。すなわち、ノーマルな状態に戻りつつあり一方で、依然として多くの怒りがあるためにポピュリストもまだ存在する。ただ、長期的な目で見ると、流れはニュー・ノーマルの状態に回帰しているのだと思います。ポピュリズムの絶え間ない革命状態の中に、いつまでもいるわけにはいかないのですから。
[i] Max Boot,
Reagan: His Life and Legend, Liveright, 2024
[ii] Thibault Muzergues,
Post-populisme, L'observatoire, 2024