欧州とアジア、中東に挟まれた南コーカサス地方で、近年急速に存在感を増しつつあるのが、アゼルバイジャンである。豊富なエネルギー資源に裏打ちされた経済力や軍事力に加え、その巧みな外交も、影響力拡大を支える要素だとみなされる。同国は一方で、隣国アルメニアと長年にわたり紛争状態にあり、ロシアやイランといった地域大国との難しい関係も抱えている。
この国の対外政策を主導するヒクメット・ハジエフ大統領補佐官が、首都バクーでインタビューに応じた。2023年のアゼルバイジャンの全面制圧によって構図が大きく変化したナゴルノ・カラバフ
[i] 情勢、アルメニアとの今後の接し方、ロシア・ウクライナ戦争や中東情勢の影響、日本との関係など、同国の外交安全保障の課題について聞いた。
(聞き手=国末憲人・東京大学先端科学技術研究センター特任教授)
ヒクメット・ハジエフ大統領補佐官
――アゼルバイジャンの外交と安全保障上の優先課題についてうかがいたいと思います。
アゼルバイジャンが独立以来直面してきた国家安全保障上の最優先課題は、(アルメニアによる)国土の「占領」でした。これによって、アゼルバイジャンは国土のほぼ中央部に、300kmに及ぶ最前線を抱えることになっていたのです。
アルメニアは、アゼルバイジャンの交通インフラや住民に深刻な損害を与えるだけの軍事力を持っています。しかし、2020年に44日間戦争(第2次ナゴルノ・カラバフ紛争)が起き、状況は一変しました。私たちは相当部分の領土を解放しました。ただ、まだ奪還できない領土が残り、アルメニア軍が駐留し、アルメニア分離主義もくすぶっていました。ロシアの平和維持部隊も領土内に進駐しました。これは、脅威とはいえないものの、国内に外国軍を入れないアゼルバイジャンの方針に反していました。
その後、アルメニアの分離主義がさらに強まったため、行動を起こす以外の選択肢はないと判断しました。私たちは2023年9月、国際人道法にのっとった形で作戦を展開し、領土を完全に解放しました。分離主義にも、軍事的占領にも、終止符を打ったのです。
――そのナゴルノ・カラバフは現在どうなっていますか。
解放地域では、その復興が何より大きな課題です。しかも、私たちはゼロからでなく、マイナス5からの出発です。地雷や不発弾で土地が汚染され、除去が極めて大変なのですから。この地域を地雷なき土地に変え、難民や国内避難民が安全に故郷に戻れるようにします。
――アゼルバイジャンが2023年にナゴルノ・カラバフ全土を制圧した際には、アルメニア人住民のほぼ全員が難民となってアルメニア本土に逃れました。これを「民族浄化」と批判する声があります。
アゼルバイジャンの戦略は、アルメニア人の住民をアゼルバイジャンに統合し、問題を平和的に解決することでした。そのために交渉を続け、統合によって得られる経済的利益を説明しました。自治体選挙の実施や道路建設も提案しました。しかし、彼らはそれに応じようとしませんでした。逆に、アルメニアはカラバフで約1万5000人の強力な兵力を維持し、ラチン回廊を通じて武器や地雷、兵士を送り込み、400カ所の前哨地を設置し、50万本の地雷を新たに敷設しました。アルメニアのパシニャン首相は(2023年)9月2日、いわゆるナゴルノ・カラバフ共和国に祝賀メッセージ
[ii] を送りました。また、彼らは違法な大統領選
[iii] も実施しました。
こうしたことから、武力による武装解除に踏み切らざるを得ない立場に、私たちは追い込まれたのです。アルメニア軍や武装分離主義者らを、私たちは容認しません。カラバフの武装解除は譲れない一線でした。
■ 「慎重かつ迅速な作戦」
この作戦で、民間人への暴力例はただの1つもありません。強力な重火器は使わず、航空戦力も動員せず、極めて注意深く、慎重に、かつ迅速に進められた作戦でした。住民に被害が及ばぬよう、最大限の配慮も施しました。カーラジオを聞く人のためにすべてのラジオ放送をカラバフ向けとし、携帯にもメッセージを送り、「食糧や避難場所、医療支援が確保されている」「アゼルバイジャンの市民権を取得できる」と周知し、軍事施設から離れるよう呼びかけました。そのうえで軍事拠点だけを制圧し、電光石火の勝利を収めたのです。
ナゴルノ・カラバフの中心都市ハンケンディ(アルメニア名ステパナケルト)。2023年9月にアゼルバイジャンが制圧した=2024年12月、国末憲人撮影
アルメニア人住民は結局、呼びかけには応じませんでした。1つには、カラバフの指導者らが彼らに、街から去るよう強要したためです。また、特に男性住民の大半は誠実でも正直でもなく、アゼルバイジャン人に対して多くの残虐行為を重ねてきたからでもありました。
私たちは人々に、街にとどまるよう求めました。ただ、決して強制的な態度は取りませんでした。去りたい人には、安全に移動ができるよう「回廊」を開いたのです。「男は全員逮捕される」などと心配した人もいたようですが、そんなことは起きませんでした。単に武器を置いて去ればよかったのです。
――ただ、アゼルバイジャンは2022年12月から、ラチン回廊
[iv] を封鎖し、ナゴルノ・カラバフとアルメニアとの人や物資の行き来を止めていました。これは、2023年9月の作戦に向けた準備ではなかったのですか。
いいえ、ラチン回廊での抗議活動は、事前に計画されたものではありません。アゼルバイジャンのNGOなどの市民による抗議活動でした。彼らは、彼らの意思で交通を遮断したのです。もちろん、しようと思えば私たち自身が軍事的手段を使って回廊を封鎖することもできたのですが、それはしませんでした。
ラチン回廊の途中からアルメニア方面を眺める=2024年12月、国末憲人撮影
封鎖が起きた理由は、1つにはアルメニアからカラバフへの武器輸送が明らかだったからです。私たちは当時、和平交渉を進めていました。アルメニアはその一方でカラバフの武装化を進めました。これは、誠実な態度とはいえません。私たちがカラバフを解放した際、倉庫には数え切れないほど膨大な数の砲弾が貯め込まれ、武装化の進み具合に驚いたものです。恐らくここは、世界で最も兵器が蓄積された場所となっていたでしょう。彼らはこの2~3年の間に、ラチン回廊を通じて兵器を持ち込み、数を増やしたのです。だから、私たちは武器輸送を止めざるを得ませんでした。
もう1つには、ロシアのオリガルヒ(新興財閥)でウクライナの分離主義者も支援するルベン・ヴァルダニャン
[v] がカラバフで確認されたからです。彼は金や銅などの天然資源を違法に採取し、(ラチン回廊を通じて)アルメニアに違法に移送しました。しかし、それらはアゼルバイジャンの資源なのです。こうしたことから、交通を制御しようとする市民運動が起きたのです。
――ナゴルノ・カラバフがそれほど重武装化していたというなら、2023年9月の紛争はなぜ、わずか1日でアルメニア側が降伏してしまったのですか。
アゼルバイジャンの作戦が極めて見事に、プロの手法で遂行されたからでしょう。軍隊の士気は高く、軍事技術や機動力も優れていました。
アゼルバイジャンは主要都市への攻撃を避け、市街地に侵入しませんでした。もし市街地に入って民間人と対峙するとどんな惨事になるか、わかっていたからです。
――アゼルバイジャンとアルメニアとの間でもう1つ大きな議論の的は「ザンゲズール回廊
[vi] 」の問題です。私は2024年8月にアルメニアを訪ね、この回廊沿いの人々と語り合いました。一般的に、彼らはその地方が「道路」として利用され、アゼルバイジャンのトラックが領内を通過すること自体は、むしろ歓迎しています。ただ、そこが「回廊」としてロシアの管理を受ける事態は拒否する構えです。この問題にどう取り組みますか。
でも、ザンゲズール回廊(の開通)は、アゼルバイジャン、アルメニア、ロシア3国間の声明(第2次ナゴルノ・カラバフ紛争停戦合意)でのアルメニアの公約に含まれているのです。その第8条に、アゼルバイジャン本土西部とナヒチェヴァンとの障害なき行き来がうたわれています。積極的だったか消極的だったかはともかく、パシニャン首相はこれに署名したのです。輸送連絡の管理に責任を持つのがロシアの国境警備隊だというのも、3国間の声明に書かれた通りです。
■ ザンゲズールは「東西街道」
私たちにとって重要なのは、回廊の安全が確保されるかどうかです。ザンゲズール回廊を通過するアゼルバイジャンの民間人を、アルメニア軍やアルメニアの警備隊の監視に任せるわけにはいかない。第三者が安全を担保すべきです。
「道路」はいいが「回廊」はいけない、というアルメニアの論理も理解できません。回廊とは、経済のつながりのことです。私は、アゼルバイジャンの全領土が回廊になるよう望んでいます。私たちは、中央アジアから欧州まで、ロシアからイランや湾岸地域まで、といった東西の街道の一部を構成しているからです。
「ザンゲズール回廊」と呼ばれるアルメニアのイラン国境地域。正面左の山はイラン領。アゼルバイジャンはこの道路と、並行する鉄道(現在は廃線)の開放を求めている=2024年8月、国末憲人撮影
――あなたが言うように、確かにザンゲズール回廊は停戦合意に記されています。でも、停戦合意はラチン回廊にも言及していますよね。今や、(アゼルバイジャンによるナゴルノ・カラバフ全土制圧によって)ラチン回廊は存在しなくなりました。ならば、ザンゲズール回廊を巡る合意も白紙になりませんか。
アゼルバイジャンは内陸国ですが、過去30年間にわたって近隣諸国との多次元的なつながりを築いてきました。その1例はジョージアとの協力で、バクー・トビリシ・カルス(トルコ東部)鉄道を建設しました。現在はカルス・ナヒチェヴァン鉄道の建設に取り組んでいます。私たちは同時に、イランとも協力を進めています。ザンゲズールと並行する形でイラン領内を通り、ナヒチェヴァンとアゼルバイジャン西部ザンギランを結ぶ道路について協議をしており、すでに橋もつくっています。
(シベリア鉄道など)従来のロシア経由の流通ルートは麻痺しています。つまり、中国、カザフスタン、ロシア、ベラルーシ、ポーランド、ドイツを結ぶルートが機能していない。一方で、貨物の量は増えています。そのような中で、アゼルバイジャンは役割を果たそうとしている。このような地域の連携に、望むならアルメニアも参加できます。ただ、私たちはアルメニアが来るのをずっと待つようなことはしません。
――アルメニアも「平和の十字路」構想
[vii] を打ち出しています。
アルメニアの代表が最近日本に行き、「平和の十字路」の概念について説明したそうですね。彼は韓国にも行って同じことをしたようです。ブリュッセルでも、パリでも、ワシントンでも議論を重ねている。アゼルバイジャン以外の誰とでも(笑)。
しかし、アルメニアも内陸国です。もし地域的なつながりを求めるなら、まず地域の国々と話し合うべきですよ。アゼルバイジャンや、トルコ、イランと。
アルメニアは、安全保障に関しても同様の考え方をしています。アルメニアはブリュッセル、ワシントン、パリで自国の安全保障を確保しようとしてきました。誰とでも話をするのはいいことです。だけど、地理的に隣国を取り替えることはできないのですよ。生物学に親を変えることができないのと同じように。
地政学的な隣人は運命なのです。まず、近隣諸国との安全保障を構築しなければなりません。アルメニアは膨張主義、介入主義の国でした。アルメニアはアゼルバイジャンに対して戦争を始めました。
アルメニア憲法はいまだに、アゼルバイジャンに対する領有権を主張し、カラバフのアルメニアへの併合を求めています
[viii] 。アルメニアはまた、トルコの一部を歴史的な領土とみなしています。もし平和を築きたいのであれば、近隣諸国と正常な関係を築き、近隣諸国の領土と主権を尊重すべきです。
――アゼルバイジャンとロシアとの関係はどうでしょうか
[ix] 。ロシアとウクライナの戦争について、アゼルバイジャンはどのような立場を取っていますか。
ロシアは隣国であり、平和のうちに、安全が確保された形で共存すべき隣人です。アゼルバイジャンはロシアと相互に尊敬し合い、実りある関係を築くことができました。
ロシア・ウクライナ戦争についてですが、このような悲劇を見るのは苦しい。ソ連時代、私たちは1つの傘の下で暮らしていました。私たちはロシアとも、ウクライナとも、歴史的に結びつきを保ってきました。ウクライナにもロシアにもアゼルバイジャン人は暮らしており、その彼らが前線で対峙しているのですから。
■ ロシア・ウクライナと中東の狭間
一方で、私たちは明確な原則に基づいた態度を取っています。当然ながら、私たちはウクライナの国土統一と主権を支持しています。私たちは軍事的な領域に関与しませんが、人道的な面でウクライナを最大限に支援しています。
ウクライナは、大国間の戦場であってはなりません。大国間の協力の場となるべきです。アゼルバイジャンの政策によって、コーカサス地方は大国の勢力圏ゲームになるのを避けることができました。ウクライナも同様に、西側と東側の交流の場にすべきでしょう。
ウクライナとロシアの間に歴史的な関係があることは、否定できません。一方で、ウクライナは欧米とも密接なつながりを持っています。ロシアと欧米がウクライナで協力している限り、問題は起きない。ただ、2014年(マイダン革命)に欧米はウクライナを、極端な方向に押し進めてしまった。今、ジョージアに対しても同じことをしているように思います。
ただ、だからと言ってロシアの行動が正当化されるわけではありません。多くのウクライナ人を苦しめるこの戦争に、私は反対です。人道状況にも懸念しています。ウクライナの復興財源も大きな課題だと思います。
ロシア軍の攻撃で破壊されたキーウ近郊ホストメリの集合住宅=2022年4月、国末憲人撮影
――もう一方の隣国イランとの関係はどうでしょうか。アゼルバイジャンは今、ダム建設などのプロジェクトをイランと共同で進めていますが、一方で2023年にはテヘランのアゼルバイジャン大使館銃撃事件があり、関係が悪化しました。
イランのゼルバイジャン大使館職員が殺害された事件は、(外交関係に)マイナスの影響を与えました。ただ、容疑者は逮捕され、裁判を受けました。また、イランの新しい政治指導者とも私たちは対話を試みており、両国間の関係は再び正常に戻りつつあると考えています。近隣諸国との関係は、アゼルバイジャン外交の優先事項ですから。
その関係は常に平和であるべきですが、隣国の間には常に問題も起きます。浮き沈みがあるのは明らかです。ただ、今のイランとアゼルバイジャンの関係は満足のいくものです。互いに内政には干渉しないという基本原則に基づいており、両国ともこれ以上は踏み込まないという線をわきまえています。さらなる問題は生じないはずです。
ロシアもイランも私たちの隣国ですが、今後の地域安全保障、さらにはグローバルな安全保障を築くことができるかどうかは、以下の2つの要素にかかわっているといえます。1つは、ロシア・ウクライナの戦争の行く末です。結果がどうなるかはわかりませんが、世界とユーラシアの安全保障体制に影響します。2つ目は、イスラエルとイランの関係です。私たちは、中東が沸騰している様子を目の当たりにしています。ロシア・ウクライナの戦争と、沸騰する中東の狭間に、アゼルバイジャンは位置しています。地理的に、どちらにも非常に近い。どちらの出来事も、アゼルバイジャンの安全保障に大きく影響します。
アゼルバイジャンが位置する南コーカサスは、地理的に極めて小さな地域かもしれません。人口は少なく、1500万人から2000万人に過ぎません。しかし、ここは歴史的にも文明の最前線、大国の最前線です。アゼルバイジャンは重要な戦略的場所に存在しているのです。
――欧州連合(EU)や欧州諸国との関係はどうでしょうか。一般的にはいいと聞いていますが、フランスなどの一部の国とは問題もあるように見えます。
EUとの関係は一般的に極めて良好です。特にEU10カ国(2004年に加盟した旧東欧諸国など10カ国)とはよき戦略的関係を築いています。ただ、いくつかの疑問点もあります。
理解できないのは、EU主要加盟国であるフランスのアルメニアへの軍事支援です。軍備を補強している点ではアゼルバイジャンもアルメニアも同じ、と言うかもしれません。でも待ってください。そこには違いがあります。アルメニアはアゼルバイジャンを侵略し、占領した国であり、それを繰り返さない保証はない。第2次世界大戦後、国家間の関係が制度化され、国連が発足し、欧州大陸では欧州評議会、欧州安保協力機構(OSCE)、独立国家共同体(CIS)といった国際機関が設立されるなかで、このような行為に手を染めた国は世界でも他にあまりありません。その国の軍備強化は、アゼルバイジャンにとって差し迫った安全保障上の脅威です。フランスと同様に、インドがアルメニアに大規模な兵器計画を提供しているのも見逃せません。
また、EUはアルメニアでのミッションを始めましたが
[x] 、これはアルメニアとEUとの関係を変えるでしょう。EUは以前、経済パワーとしての性格が主でしたが、今やジョージアの政治体制を変えようとしてハイブリッド戦争を実施したりもしています。ジョージアでは民主的に選挙が実施されました。にもかかわらず、EU加盟国がああしろこうしろと口出しするのは、フェアではありません。
■ 「日本+6」の枠組み
――対日関係はどうでしょうか。
私たちは日本の首相が国連気候変動枠組条約第29回締約国会議(COP29)に出席されるよう期待していました。総選挙が実施されることになり、残念ながら実現しませんでしたが。
この地域の経済を牽引する立場にあるアゼルバイジャンは、日本と協力して多くのことを進めることができると考えています。日本はすでに「「中央アジア+日本」対話
[xi] の枠組みを設けていますが、私たちは日本に対して「日本+中央アジア+アゼルバイジャン」のモデルを提案しています。
アゼルバイジャンは複数の地政学的アイデンティティを持っています。私たちはアジア人であり、中央アジア人でもあり、カスピ海人であり、中東人であり、イスラム世界にも、トルコ世界にも、旧ソ連の現実にも属しています。私たちは長年ソ連の支配下にありましたが、同時に欧州人でもありました。
中央アジア人としてのアゼルバイジャンを考えると、アゼルバイジャンと中央アジアは「5+1」ではなく、「6」なのです。数学の問題ではなく化学の問題です。我が国と中央アジアとは、それほど歴史的に深い関係があります。カスピ海は、私たちと中央アジアを分割しているのではなく、両者を結びつけて新たな地政学的空間をつくっています。
ここに、この地域の国々と日本との協力の可能性があると、私は考えます。「日本+6」が今後の枠組みでしょう。そのうえで、この地域への日本のより積極的な関与を期待します。
Hikmət Hacıyev アゼルバイジャン大統領補佐官、大統領府対外政策局長。同国西部の中心都市ギャンジャ出身。外交官として北大西洋条約機構(NATO)代表部やクウェート、エジプトで勤務した後、2019年から現職。
【インタビューを終えて】
アゼルバイジャンの「外交力」には、長年敵対するアルメニアも舌を巻く。2024年8月にエレバンを訪ねた筆者に対し、アルメニアを代表する調査会社「MPG」のアラム・ナヴァサルディヤン代表は「アゼルバイジャンの外交官を見ると、こちらよりずっと経験豊かで、力強い交渉を展開する。相手にならない」
[xii] と認めた。ソ連時代の古株を引退させる内部改革を実施する一方で、若手官僚を英米などに留学させ、育成を続けてきた成果が出ているのだろう。
その外交政策を主導するのがハジエフ氏である。穏やかな口調で、流暢な英語を操りつつ、しかし表面上の社交儀礼で済ませることなく詳細な説明を加え、自国の立場を明確に主張する。交渉相手としては手強いに違いない。アリエフ大統領の信頼が厚いと言われるのも納得できる。
長年にわたるこの地方の紛争に関して、特に欧米では、アルメニアの立場が比較的広く伝えられるのに対し、アゼルバイジャンの声に接する機会が多いとはいえない。その一因は、近年の民主化も加わって言論や報道の自由がある程度確保されたアルメニアから多様な情報が外部に流れるのに対し、アゼルバイジャンからの情報は政府の統制色が強く、欧米ディアに警戒心を抱かせることにあるだろう。一方で、賛否はともかく、アゼルバイジャンの主張と立場をしっかり把握することは、今後の地域の安定を模索するうえで欠かせない。このインタビューの狙いもそこにあった。
言うまでもないが、ここで展開されている主張はアゼルバイジャンの公式見解であり、聞き手が全面的に賛同するわけではない。実際、特に対アルメニア関係に関するハジエフ氏の説明には、いくつかの疑問も残る。
1つは、2022年12月のラチン回廊封鎖についてである。彼はこれが、NGOなどによるもので、政府は関与していないとの立場を取る。一方で、その理由として、ナゴルノ・カラバフの武装化や資源の搬出など国家安全保障上の懸念を挙げる。しかし、このような最前線で安全保障を理由にNGOが独自の活動をするとは考えにくく、事実上政府が主導したと見るのが自然である。これは、ラチン回廊の安全確保を求めた第2次ナゴルノ・カラバフ紛争停戦合意に反していなかったか。
また、第2次紛争後のナゴルノ・カラバフでアルメニア側が武装化を続けていたと、彼は主張する。しかし、アルメニア側は逆に、紛争後のナゴルノ・カラバフが弱体化し、特にラチン回廊閉鎖によって疲弊していたと考えている。どちらの見方が正しいだろうか。
一方、2023年9月のナゴルノ・カラバフ全土制圧に関して、住民に被害が及ばないようアゼルバイジャンが配慮したというハジエフ氏の説明については、アルメニア側にも確かに同様の見方がある
[xiii] 。ただ、結果的に住民のほぼ全員が難民化したという現実の重みを、アゼルバイジャン側はどう受け止めているだろうか。
ハジエフ氏の説明には、アルメニアの軍事力に対する警戒心が強く感じられる。しかし、人口や国内総生産額、軍事費のいずれを見ても、エネルギー大国に成長したアゼルバイジャンは、アルメニアの3倍以上に達する。軍の装備も、アゼルバイジャンはトルコやイスラエルから最新兵器を多数輸入しているのに対し、アルメニアはソ連時代の古びたものに頼る。「アルメニアの脅威」は、誇張されていないだろうか。
いずれにせよ、アゼルバイジャン側でもアルメニア側でも、相手に対して抱く警戒心は極めて強い。この意識を少しずつ解き、信頼を醸成する営みが、この地域の将来を築くうえでの第一歩となるだろう。
【注】 [i] アゼルバイジャンでは現在、ソ連時代の旧自治共和国の名称を引き継いだ「ナゴルノ・カラバフ」の地名を使わず、一般的には単に「カラバフ」と呼ぶ。本稿は、その表記が定着するまでの暫定的な対応として、ハジエフ氏の発言以外の部分では従来の「ナゴルノ・カラバフ」表記を使った。
[ii] パシニャンは2023年9月2日、ナゴルノ・カラバフ共和国の独立宣言32周年を記念して、祝賀メッセージを公表した。“Statements and messages of the Prime Minister of RA/Prime Minister Nikol Pashinyan's congratulatory message on the occasion of the adoption of the Declaration of Independence of Nagorno Karabakh”, The Prime Minister of the Republic of Armenia, 2023.09.02.
https://www.primeminister.am/en/statements-and-messages/item/2023/09/02/Nikol-Pashinyan-message/ [iii] 2023年9月7日投開票のいわゆるナゴルノ・カラバフ共和国大統領選。欧州連合(EU)や米英はその結果を承認しないと表明した。
[iv] ナゴルノ・カラバフの中心都市ハンケンディ(アルメニア名ステパナケルト)とアルメニア東部のゴリスを結ぶ道路の全体または一部。ナゴルノ・カラバフとアルメニア本土間の主要街道として機能し、2020年の第2次ナゴルノ・カラバフ紛争後はほぼ唯一の物資供給ルートとなったが、アゼルバイジャンは2022年12月にこれを封鎖。食糧や医薬品が入らなくなったナゴルノ・カラバフは人道危機に陥ったといわれた。
[v] Ruben Vardanyan ナゴルノ・カラバフ共和国(アルツァフ共和国)元国務相。ロシアのプーチン政権に近いアルメニア人実業家で、ナゴルノ・カラバフの分離独立を目指す硬派として知られた。2023年9月、アゼルバイジャン当局に拘束された。
[vi] アゼルバイジャン本土とその飛び地ナヒチェヴァンとの間は約44キロのアルメニア領で隔てられている。アゼルバイジャンはこの間を「ザンゲズール回廊」と呼び、開放して人や物資の行き来を自由にするようアルメニアに要求。第2次ナゴルノ・カラバフ紛争停戦合意では、「アルメニアは、アゼルバイジャン西部とナヒチェヴァンとの間で人、車両、貨物が遮られることなく移動できるよう保障する」「ロシア国境警備隊が輸送連絡の管理に責任を持つ」とうたわれた。この間の道路がアゼルバイジャンの車両に開放され、またソ連時代にあった鉄道も復旧できれば、これまで航空機に頼っていたアゼルバイジャン本土とナヒチェヴァンの行き来が格段に容易になる。停戦合意については President of Russia, “Statement by President of the Republic of Azerbaijan, Prime Minister of the Republic of Armenia and President of the Russian Federation”, 2020.11.10.
http://en.kremlin.ru/events/president/news/64384 [vii] アルメニアは逆に2023年10月、アゼルバイジャンやトルコとの国境を大々的に開放して物流や交流を一気に拡大する「平和の十字路」構想を打ち出した。ザンゲズール回廊を開いてアゼルバイジャンの物資を通すばかりでなく、自分たちの物資の流通も促進したいとの考えからとみられるが、アゼルバイジャンやトルコの賛同は得られていない。The Prime Minister of the Republic of Armenia, “Prime Minister Pashinyan presents the "Crossroads of Peace” project and its principles at the Tbilisi International Forum”, 2023.10.26.
https://www.primeminister.am/en/statements-and-messages/item/2023/10/26/Nikol-Pashinyan-Speech/ [viii] アルメニア憲法は冒頭で、1990年の主権宣言に言及しており、その主権宣言はアルメニアとアルツァフ(ナゴルノ・カラバフ)との統合をうたっている。アゼルバイジャンはこれを問題視して憲法改正をアルメニアに求めているが、アルメニア国内では「内政干渉だ」との反発が起きている。The President of the Republic of Armenia, “Constitution of the Republic of Armenia”,
https://www.president.am/en/constitution-2015/ [ix] このインタビューは2024年12月2日で、12月25日に起きたアゼルバイジャン航空機墜落事件の前にあたる。墜落は、ロシア側の撃墜によるとの見方が有力で、アゼルバイジャンはロシアに謝罪と説明を要求している。
[x] EU Mission in Armenia (EUMA),
https://www.eeas.europa.eu/euma_en [xi] 外務省『「中央アジア+日本」対話』
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/europe/caj/index.html [xii] 国末憲人『アルメニア「サバイバル戦略の行方」(3) 地域大国のゲームのはざまで』、新潮社フォーサイト、2024年10月27日
https://www.fsight.jp/articles/-/50961 [xiii] Ibid.