1. 幣原発案説という神話
日本国憲法第九条が憲法の条文でよく知られていることに異論はない。憲法第九条をめぐる研究も憲法学や国際政治学等の観点から数多く発表されてきた。これからも、憲法第九条をめぐる議論が尽きることはないだろう。
憲法第九条については数多くの論点が存在しているが、中でも、誰の手によって作り出されたのかという点は、多くの論者が議論を交わしてきた。他の憲法の条文について、発案者をめぐる議論がほとんど存在しない中で、憲法第九条はこの発案者をめぐる議論が重要な論点として扱われてきたのである。憲法第九条という平和主義と戦争放棄を謳うこの条文が、アメリカから押しつけられたのか日本の内在的な動機の中で生まれたのかという差異が、憲法そのものの正当性を左右すると見なされてきたことの証左だろう。
その発案者が誰なのかについては当時の内閣総理大臣幣原喜重郎か、それとも連合国軍総司令官のダグラス・マッカーサーなのかという点をめぐって議論が続けられてきた。
これは1946年1月に幣原が病に伏した時にマッカーサーがペニシリンを送り、そのお礼として幣原がマッカーサーのもとを訪れた際の会談(いわゆる「ペニシリン会談」)において、憲法第九条に関する話し合いが二人の間で持たれたという前提に基づいている。一部には昭和天皇やマッカーサー周辺の側近たちを発案者であったとする見方もあるが、多くの論者は幣原とマッカーサーにスポットを当ててきた。
憲法第九条をめぐっては、幣原の平和主義思想の発露を受けて、マッカーサーが戦争放棄を条文化するに至ったという日米(幣原・マッカーサー)合作説が有力視されてきた(中村2022:33)。すなわち、「幣原の提起なしに憲法9条は生まれなかった」という考えである(河上(Ⅳ)2017:52)。この立論の核心は、マッカーサーの役割を重視しつつ、幣原の平和主義思想こそが憲法第九条の原点だったと主張している点にこそある。この事実を鑑みても、憲法第九条の発案者をめぐる議論でマッカーサーがどのように評価されているのかを明らかにすることには、意義があることが分かるだろう。
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