冷戦時代に東側陣営に属した旧東欧・バルト諸国では、ロシアに対する警戒感が一般的に強い。なかでも、ソ連に併合されて事実上ロシアの直接支配を受けたバルト三国では、その傾向が顕著である。それぞれの国の規模が小さいだけに、ロシアへの対抗策では手を携え合おうとする。
東京大学先端科学技術研究センター「創発戦略研究オープンラボ」(ROLES)のエストニア訪問団[i]が古都タルトゥで訪ねた「バルト防衛大学校」は、そのような協力の表われである。バルト3国のエストニア、ラトビア、リトアニアが1999年に共同で設立し、各国軍の将校クラスの教育を担う。私たちの訪問の1週間後にその創設25周年式典を控えていた。
■ ソ連型からNATO基準に
施設は3カ国に所属するが、北大西洋条約機構(NATO)との関係も密接で、一部の授業はNATOの教育プログラムにも組み入れられている。学生は約20カ国から、教職員は約30カ国から来ているという。幹部の人事は3カ国持ち回りで、現在の学校長はリトアニア出身の将軍が務める。
やはりリトアニア出身のアスタ・マスカリウナイト事務局長が、創設の経緯について説明する。
「教育コースを3カ国が独自に設けても、大した利益はありません。一方で、軍幹部を全員国外に留学させると費用がかかりすぎる。だから、主にデンマークの支援を受けつつ、合同で教育機関を設けることになりました。かといって3カ国いずれかの首都に置いて、その国の政策の影響を受けすぎてもよろしくない。そこで、首都ではなく、すでにあったエストニア防衛アカデミーの施設を利用できるタルトゥが立地場所として選ばれたのです」
「創設当初、3カ国にはソ連時代の軍人がまだ多かっただけに、NATO基準に合わせるためにもこの施設は大きな意味を持っていました。授業は英語で進められたことで、ロシア語離れにも役立ちました。それは、私たちが近年、ウクライナやジョージアへの支援を続ける理由にもなっています」
ソ連型の軍隊からの脱却は、ソ連に組み込まれていた国々に限らず、ソ連時代に軍事支援を受けていた途上国にも共通する課題である。
「バルト三国は独立回復から30年以上経って、もはやソ連時代を知る軍人の多くは退役しました。だから、時間が経つというのは一つの解決法です。ただ、私たちは早い時期から『西側の一員としてやっていくのだ』と決めていました。それはプレッシャーでもありましたが、この学校がその営みに貢献したのも確かです」
スタッフの一人も語る。
「学生たちは当初は、英語も話せなければ、西側の指揮系統も知らず、西側の軍事的伝統も価値観も倫理観も理解していませんでした。そこで、デンマークやスウェーデンが助けてくれたのです」
スタッフらによると、バルト三国にはロシアを脅威と位置づける人がいると同時に、一つのチャンスととらえる人もいる。いずれも小国であるため、エネルギーをロシアに依存しがちなことから、経済界にはいまだロシアをパートナーと見なす意識が根強いという。「ロシアの影響力を減じるために、様々な構造改革を進めています」と、スタッフの1人は話した。
その後、講堂に集まった学生たちを前に、保坂三四郎・国際防衛安全保障センター(エストニア)研究員と小泉悠・東京大学先端科学技術研究センター准教授がロシア情勢について講演し、会場からは盛んに質問が寄せられた。
タルトゥでの日程を終えた私たちはその日夕、首都タリンに移動した。
■ 国防への支持は一致
翌2月20日、訪問団は国際防衛安全保障センター(ICDS)で、合同の専門家戦略対話「ロシアのウクライナ侵略とそのグローバルな衝撃」に臨んだ[ii]。
ICDSは2006年、エストニア国防省によって設立された研究機関。エストニアの安全保障状況を調べ、提言するとともに、広く一般に知識を広める役目も担う。NATOやEUとも密接な関係を持つ。
冒頭、ICDSのインドレク・カンニク所長が課題を提起した。
「ロシアの狙いは極めて明確です。ウクライナ国家を破壊する、あるいは少なくとも政府を自らの統制下に置くことです。もし目的を達成したら、独裁者はそこで止まりません。新たな紛争を求め、そうなるとNATOとの衝突も視野に入れざるを得ないでしょう。ウクライナが敗れてはなりません。その意味で、日本の支援は大きな助けになっています」
ROLES側から早速いくつかの質問が出た。
――欧州側でも、ハンガリーは他と異なる立場をとり続けている。NATOやEU内で分断が起きるのはなぜか。
――もし米国にトランプ政権が誕生したら、今後はどうなるか。
ICDS側が説明する。
「2022年2月にロシア軍がウクライナに侵攻するまで、NATO内の分断は、私たちのような国とそれ以外とのメンタリティーの違いに基づいていました。エストニアはソ連による長年の占領を経験している。しかし、そうでない国もある。でも、今回のロシア軍の侵攻によって、そのギャップはむしろ小さくなったといえます」
「ハンガリーのオルバン首相は、国内で自らの権力を守るためにあらゆる戦術を繰り出しています」
「トランプの問題は、NATOがどのように機能するのか、彼は理解していないこと。彼の行為がNATOにどれほどのダメージを与えるかをわかっていないことです」
議論は、米国の核抑止の有効性から、エストニアの国防意識とNATO内の意識のギャップにまで及んだ。
――エストニアで国防費支出に対する世論の見方はどうか。日本では、防衛費増額は概ね受け入れられているように見えるが、「防衛費を増額するために増税を許容するか」と尋ねると反対がおおくなりそうだ。
「エストニアでは、国防に対する支持が一致しています。各政党も、細部では意見の違いがあるものの、国防への支出に対する反対はありません」
「世論調査で、国防費を減らすべきだと答えた人は15%にとどまりました」
戦争に対する見通しの甘さを振り返る声も出た。
「侵攻が起きた当初、ウクライナがこれほど耐えるとは誰も思いませんでした。ロシアは5日ほどでウクライナを制圧すると言われたからです。その情報の発信元はロシアでした。それを私たちが何度も繰り返し、完全な間違いにもかかわらず、最後にはそれを信じるようになっていたのです。私たちは領土を1ミリも譲ることなく抵抗できるのだと、常に言い続けなければなりません。それが防衛の決め手です」
一方、エストニア側からは、ロシア・ウクライナ戦争への中国の立場を尋ねる質問が出た。中国は何を考えているのか。
「中国の基本は米国に対抗することであり、そのためにロシアは最も頼りになるパートナーです。プーチン政権が崩壊してもらっては困ると考えています。一方で、中国は非先進国のリーダーを自任するだけに、これらの国々が反ロシアの立場を取り始めると、中国はもはやロシアを支援しないでしょう」
――中国とロシアに共通する利益はあるのか。
「ロシアと中国は、依然として自立した存在であり、別々の地政学的な計算に基づいて動いています。中国は中央アジアとの関係を深めているし、極東の領土に対して歴史的に関心を抱く。米国相手には協力するのですが」
両者はその後、北朝鮮問題や中東情勢に関しても意見を交換した。
■ 南コーカサス情勢への懸念
2月21日、訪問団は小グループに分かれて行動した。川島真・東京大学大学院総合文化研究科教授はタリン大学に招かれ、「台湾選挙の結果と習近平の台湾政策」と題して講演した[iii]。一部のメンバーはエストニア外務省を訪れ、EUの東方政策について幹部のブリーフィングを受けた。
EUと東方諸国とのかかわりでは、ウクライナのEU加盟の可否が最近、しばしば話題にのぼる。ウクライナは2022年6月に、モルドバとともにEU加盟候補国の地位を与えられ、2023年12月には加盟交渉の開始が決まった。やはり加盟を目指すジョージアがこれに続き、2023年に加盟候補国として認められた。この幹部によると、EU加盟の前提として求められる民主化や自由化に関して、以前はジョージアが先行し、これをウクライナやモルドバが追っていたという。実際、2003年にジョージアでは「バラ革命」と呼ばれる民主化運動が起き、権威主義化していた当時のシェワルナゼ政権を倒した経験は、その後ウクライナに伝えられて翌年の民主化運動「オレンジ革命」に結びついたといわれる。その後も、ジョージアからウクライナへは多くの民主活動家や政治家が移り、民主化、自由化の改革を主導した。
しかし、ジョージアの近年の政権には親ロシア的な政策や言論弾圧の傾向がうかがえ、市民の抗議運動が頻発していた。この幹部は「ジョージアは確かに以前、多くの取り組みの結果、自由度やビジネスのやりやすさで評価を得た。ただ、現政権は明らかに、これとは他のことに関心を抱いている。欧州に親近感を抱く人々が国内にいる一方で、家族の価値を重視するロシア風の社会も維持しており、ロシアのプロパガンダに乗せられやすい面がある」と分析した。
エストニア外務省には、ジョージアの南に位置する南コーカサスのアルメニア、アゼルバイジャン両国への懸念も強いとうかがえた。アゼルバイジャン領内でアルメニア系住民が多く、領有や支配を巡って両国が争ってきたナゴルノ・カラバフ問題は、前年の2023年9月にアゼルバイジャン側が事実上の軍事行動を起こし、制圧した。十数万人のアルメニア系住民はほぼ全員が難民となってアルメニア本国に流出した。アゼルバイジャンの行為は、武力による領土紛争を解決しようとする試みであり、国際法に基づく秩序を脅かすものと見なされかねない。しかし、ロシアとの関係が悪化した欧州にとって、アゼルバイジャンは代替の有力なエネルギー源となる国であり、EUも関係悪化を望んではいない。
アゼルバイジャンについて、この幹部は「難しい問題であり、EU加盟国27カ国はそれぞれの見方を持っています。人権を重視する国もあれば、経済的利益を重視する国もあります。アゼルバイジャンはなんと言ってもエネルギーの供給国であり、対応に前向きではない加盟国もあって、EUとしてあまり強い対策をとれませんでした。将来再び行動を起こさないよう、何らかのシグナルを送らなければなりませんが、アゼルバイジャンをロシア側に追いやるのではと心配する国もあります。アゼルバイジャンはその狭間でうまく振る舞うしたたかさを備えています」と話した。
アゼルバイジャンに民主主義は定着しておらず、現状ではEU加盟国候補になりそうにもない。一方で、アルメニアは2018年の民主化運動によって現パシニャン政権が誕生して以降、改革を進めると同時に欧米への接近をはかるようになった。アルメニアは、ロシア主導の軍事同盟「集団安全保障条約機構」(CSTO)の加盟国だが、これによって対ロ関係はギクシャクしている。
「ナゴルノ・カラバフを失ったアルメニアは、少しずつ静かに、欧州に向かっています。EU側もそれを助けるシグナルを送っています。ただ、すぐにCSTOから脱退せよとは言わない。ロシアの反発を招きかねないからです」
EUはウクライナ、モルドバ、ベラルーシ、ジョージア、アルメニア、アゼルバイジャンの6カ国とともに2009年、「東方パートナーシップ」の枠組みを創設し、これらの国々の政治経済改革を支援してきた。ただ、ロシアのウクライナ侵攻やナゴルノ・カラバフ問題の急展開など、地域の情勢は大きく変化しつつあり、枠組みの修正や見直しも課題となるだろう。
■ ソ連とナチスの被害を掘り起こす
エストニアで対話を重ねていると、外交や軍事といった外部への働きかけにとどまらず、国内への働きかけも、この国の安全保障面で大きな比重を占めていることがわかる。その要素の一つは、すでにナルヴァやタルトゥで見てきた通り、国民の4分の1を占めるロシア系への対応である。彼らは必ずしも単一の政治コミュニティーを形成しているわけではなく、その意識も政治的立場も様々ではあるものの、ロシアからの影響を受けやすい環境にある点、様々な形での介入の口実として利用されうる点から、安全保障上の懸念材料となりかねない。彼らの国内社会への統合は、この国にとって大きな課題となっている。
欧州各国では近年、ロシアとしばしば連携し、資金援助を受けることもある右翼ポピュリスト勢力が、国内の安全保障上の不安要因となっている場合が少なくない。エストニアの場合、そのような勢力がいまだ台頭していない一方で、異なる形の国内問題を抱えているといえる。
もう一つの要素は、歴史への取り組みである。エストニアはナチス・ドイツやソ連によってしばしば占領され、その独立を中断させられた経験を持つ。その歴史を掘り起こし共有する営みは、独立回復後まだ30年あまりのエストニアで、守るべき国家のアイデンティティーに関する国民のコンセンサス構築に結びついていると考えられる。
この日夕、訪問団はタリン市内にある研究機関「歴史記憶院」を訪れ、マルティン・アンドレレル理事から説明を受けた。形式的には民営施設だが、資金のほとんどは政府から来ているという。
「研究対象は20世紀近現代史です。ナチス・ドイツとソ連という全体主義体制下でなされた戦争犯罪や人権侵害、人道に対する罪を調べています」
アンドレレル理事は説明した。今でも、ソ連時代に強制連行などで行方不明になった人々の消息を求めて、親族が訪れる。研究所は、バルト三国の研究機関などとも協力し、調査を進める。ロシアの公文書館には多くの情報があると推測できるが、そこへのアクセスは難しい。それでも、犠牲者の存在を確認し、例えば1941年に起きた大規模強制連行の追悼碑には、毎年50人から最大200人ほどまでの氏名を加えることができるという。また、これらの情報を集約したデータベースも構築している。
アンドレレル理事は、当時のエストニアの状況をウクライナの現在と重ね見る。
「ロシアは今、占領したウクライナ東部で住民を拘束しています。1940年代にソ連がエストニアでしたことと同じです」
同院で、エストニア人の家族史を集めたオーラル・ヒストリーのポータル「コグ・メ・ルグ」(私たちの物語すべて)を運営するエルマル・ガムスさんは、スウェーデンや米国、カナダなどを訪れて亡命エストニア人から話を聞くなど、様々な手法で証言を収集するとともに、ドキュメンタリー動画や展覧会を通じてその内容を共有する活動について紹介した。現在では、ウクライナのオーラル・ヒストリーの収集活動にも協力しているという。
一般的に、それぞれの国はそれぞれの歴史ナラティブを持っている。敵対する国家同士では、そのナラティブがせめぎ合う。自国の見方を広めるとともに、敵対する相手の視点に探りを入れ、それを変えさせようと試みる。アンドレレル理事が語る。
「ロシアはロシアで独自の歴史観を持っており、それを広める活動を何十年も続けてきました。以前私が博物館に勤めていた時に、『日本の公共テレビ局』を名乗るクルーがやってきて、博物館の公式ビデオを見ようとしました。でも、どう考えても日本からとは思えない。その後私は、その同じ集団がロシア大使館から出てくるところに出くわしたのです」
一方で、アンドレレル理事はロシア内部との連携の必要性も指摘した。
「全体主義体制下で抑圧を受けた人々はロシアにもいます。その実態を明らかにしたおと望んでいる人、現在の狂気を早く終わらせようと奮闘する人もいる。彼らとの連携も大切にしたい」
同院は現在、エストニア政府と共同で「共産主義の犠牲者のための国際博物館」(共産主義犯罪博物館)[iv]の設立準備を進めている。タリンの海辺に19世紀に築かれ、後には刑務所としても使われた施設「パタレイ旧海軍要塞」を利用し、2026年の開館を目指す。共産主義による犯罪を包括的に記録する世界初の博物館となるという。デザインの国際コンペでは、神戸大学の遠藤秀平教授(現名誉教授)研究室の提案が最優秀賞に選ばれ、採用が決まった。
■ 融和策の終焉
訪問団はタリンでこのほか、ICDSの研究者らと個別に懇談を重ね、市内の占領解放博物館「Vabamu」で担当者のブリーフィングを受けた。今回の訪問で培った関係を生かして、日本とタルトゥ大学合同のオンラインによるセミナー開催の企画も現在進んでいる。
エストニアでは、政府や安全保障の研究者らの間で、ロシアを最大の脅威として位置づける意識が自明のこととして共有されている。ロシアのプーチン政権に対して何らかの譲歩や妥協、あるいは親密な関係を期待しようとはしない。そのような緊張感は、ロシア・ウクライナ戦争を「次には自らに降りかかりかねない問題」として深刻に受け止める態度にもつながっている。
このような立場はEU内で、長い間むしろ傍流だった。EUの対ロシア(恐らく対中国も同様だが)の基本は、相互協力の関係を結ぶことで相手の変革を期待するところにあった。その流れを主導してきたのはドイツである。経済的な結びつきを強め、利益を共有することを通じて、民主主義や法支配の概念を相手側に浸透させる。そのような宥和政策「接近による変化」を冷戦時代から展開し、それは旧東欧諸国の民主化に結びついた。その成功体験は、メルケル政権に至るまでロシアとの緊密化にドイツが固執する論拠となっていた。
その結果として起きたのが、2022年のロシア軍によるウクライナ侵攻であり、ドイツはその反省から、対ロ対中政策を大幅に転換せざるを得なくなった。それは、EU内で対ロ宥和に与せず、脅威を叫び続けてきたエストニアなどバルト三国やポーランドの発言権を高めることにもつながった。
エストニアの声が今、先見の明として再評価される時代である。その経験と取り組みに我が国が学ぶことは多い。