コメンタリー

2023 / 06 / 01 (木)

ROLES Commentary No.9 田中祐真「ゼレンスキー政権におけるウクライナ大統領府の存在 ―イェルマーク長官への権力の集中―」

イェルマーク大統領府長官(中央)、シュミハリ首相(左)、ステファンチューク最高会議議長(右)

ウクライナにおける政府と大統領府
いわゆる半大統領制をとるウクライナについて、「ウクライナ政府」と言った場合、広義には大統領を含む統治機構全体を指す。一方、厳密な意味での「政府(Уряд/Government)」とは、ウクライナ大統領に責任を負う行政当局の最高機関である閣僚会議(Кабінет міністрів/Cabinet of Ministers)を指し、その長は首相である。
これに対し、大統領府(Офіс Президента/Office of the President)は「憲法第106条28項に基づいて大統領が組織する常設の補助的機構」[1]であるとされている。この憲法・法令上で規定された「補助的機構」が、ゼレンスキー政権下、特に戦時下においてその影響力を非常に大きなものとしている。
 実際のところ、行政は閣僚会議とその下に置かれる各省庁が担当している形となってはいるものの、現実には重要な政策の決定は大統領府が担っていると言える。
 デニス・シュミハリ首相は、ゼレンスキー大統領と同様に各国首脳や国際機関幹部との会談を多数行ってはいるが、どちらかといえば具体的な支援の取り付け、特に国家予算の財源確保に係る実務的なものが多く、内政面での実務が目立つ。また、外交においてはドミトロ・クレーバ外相が全面に立ち、メディアへの露出も多いのは事実であるが、重要な国際交渉においてはゼレンスキー大統領の他にアンドリー・イェルマーク大統領府長官が直接動いている面が大きい。
 5月19-21日のG7広島サミットに際してゼレンスキー大統領に同行していたのもイェルマークと欧州・欧州大西洋統合担当の副長官イーホル・ジョウクヴァで、イェルマークはこの機会にジェイク・サリバン米国家安全保障担当大統領補佐官と会談している[2]
 
G7広島サミットのために急遽来日したゼレンシキー一行

強大化するイェルマーク大統領府長官の権力
現大統領府長官のアンドリー・イェルマークは、大統領の「補助的機構」の長にしてはウクライナ国内における存在感の非常に大きい人物である。ゼレンスキー大統領の権力構造において、ウクライナ大統領府は、イェルマークの下で、単なる「補助的機構」から政府や議会との関係における事実上の「統治機関」になったと言っても過言ではないだろう。ウクライナの大手メディアの一つである『ウクラインスカ・プラウダ』に対して大統領府関係筋が語ったとされる、「あなた方は、クレーバが外務大臣だと思っているのか。イェルマークの電話、これこそが外務省である」との発言[3]は、現在のウクライナの政権構造、そして内外政のあらゆる問題におけるイェルマークの絶大な権力を端的に示すものと言って良い。
 アンドリー・イェルマークは2022年2月11日に大統領府長官に就任しているが、ゼレンスキーの芸能時代にはスタジオ「第95街区(Квартал 95/Kvartal 95)」の弁護士を務めていた。彼は、ゼレンスキーから長年の信頼を得、親密な友人関係を築いており、また戦時下において大統領府長官が大統領府の隣に残ったという事実が、両者の距離を更に縮めたとされる[4]
他方で、イェルマークの重用が単なる縁故によるものかというとそうとも言いきれない。ゼレンスキー大統領が所謂「ゼレンスキー・チーム」に属する高官であっても職務上の瑕疵などを理由に解任する[5]などプラグマティックな人事政策をとる中で、イェルマークがその知性と能力、人脈を活かして捕虜交換やキーウ安全保障コンパクト(Kyiv Security Compact)の策定など様々な成果を上げているのもまた事実である。
 イェルマークは、自身に忠実な者以外の人物の蹴落としも図っているとみられる。一例として、地方政策・非中央集権化担当の副長官であったキリロ・ティモシェンコ(担当する職務上、一定の自立性を有していたとされる)がスキャンダルを理由に辞任を余儀なくされ、ウクライナ国内でいうところの「イェルマークの部下(люди Єрмака/liudy Yermaka)」であるオレクシー・クレーバ[6]が後任に据えられた。また、ティモシェンコが担っていた、地方におけるロシアによる民間人・民間インフラの被害状況に関するSNSでの公式発表もイェルマークが担当するようになった。
本来大統領府の外には人事権を持たないはずのイェルマーク長官が、オレクシー・レズニコフ国防相やアンドリー・コスチン検事総長、アンドリー・ピシュニー中銀総裁などといった「イェルマークの部下」を多数の国家機関に配置することで[7]、事実上あらゆる分野、あらゆる機関への影響力を手にしているという事実には国民の問題意識も高い。ラズムコフ・センターの本年2-3月の世論調査[8]によれば、イェルマークへの信頼度・不信度はそれぞれ41%と36%で、知名度の高い現政権関係者の中でも好評価とは言い難い(同調査のゼレンスキー大統領に対する信頼・不信はそれぞれ84.9%と9.9%、シュミハリ首相は51.6%と30.2%、ダニロフ国家安全保障・国防会議書記は54.9%と19.6%、レズニコフ国防相は51.3%と26%、ポドリャク大統領府長官顧問は59.5%と19.2%)。

今後の見通し
 このような権力構造を有する現在のウクライナにおいて当面の課題となり得るのが、莫大な復興マネーの取り扱いである。既に一部が開始し、戦後本格化する多数の復興プロジェクトは、新たに統合された地方・国土・インフラ発展省が調整することになっている[9]。しかし、大統領府の影響力の拡大により統治機構が「多重構造」の様相を呈し始めている中で、広範な社会・経済分野にわたるそれぞれの復興プロジェクトに直接的・間接的な影響を及ぼして自身の「取り分」を掴むチャンスを得ることのできるアクターが増加してしまった側面は否めない。これにより、現段階において「ロシアに対する勝利」という点で少なくとも表面上一致団結している政権内の競争が、激化する危険性がある。
また、イェルマーク長官に多数の機関に対する影響力が集中しているという状況は、翻せば、各機関の首根っこを押さえられるイェルマークが戦後に政権交代やその他なんらかの政治的理由によって退任した後には、復興マネーを巡るものをはじめとする政争に一層収拾がつかなくなるという結果を招く危険性も孕んでいるということでもある。
  迅速かつ一貫した判断と決定を要する局面の増える戦時下という特殊な状況下で、広範囲にわたる事実上の権限が特定のキーパーソンや機関に集中することは、ある程度致し方ない側面もあるだろう。しかしながら、今次戦争の結果如何によるとはいえ、戦後に大規模な復興、EUやNATOへの加盟、大統領選挙といった大きな課題が控えていることに鑑みると、戦時中の現在における政権内人事の動きがウクライナの将来を左右し得る一つの重要な要素となってくる。戦況や国際的な動きが注目されがちな戦時下では比較的目立たない部分ではあるが、ウクライナの戦後を見据えた時、その重要性はむしろ今後高まっていくと予想される。

出典
[1]«Указ Президента України №436/2019», ПРЕЗИДЕНТ УКРАЇНИ, 25 June, 2019. (accessed 8 May, 2023)
[2]«У Хіросімі Андрій Єрмак провів зустріч із Джейком Салліваном», ПРЕЗИДЕНТ УКРАЇНИ, 21 May, 2023.  (accessed 25 May, 2023)
[3]Романюк, Роман and Кравець, Роман, «Підсумки воєнного року: український спротив, переродження Зеленського, знищення олігархів», УКРАЇНСЬКА ПРАВДА, 27 December, 2022.  (accessed 14 May, 2023)
[4]Ржеутська, Лілія, «Хто такий Андрій Єрмак?», Deutsche Welle, 11 February, 2020.  (accessed 14 May, 2023)
[5]一例として、イヴァン・バカノフ元ウクライナ保安庁長官は、ゼレンスキーの子供時代からの友人であったが、ロシアの全面侵攻当初の失態が理由で解任されている: «За що Зеленський відсторонив Баканова і Венедіктову і що їм загрожує», РБК-УКРАЇНА, 18 July, 2022.  (accessed 14 May, 2023)
[6]前キーウ州軍事行政府長官。外相のドミトロ・クレーバとの混同に注意されたい。
[7]«Люди Єрмака. Все більше важливих державних посад займають давні знайомі голови Офісу президента», NV, 22 November, 2022.  (accessed 14 May, 2023)
[8]«Оцінка громадянами ситуації в країні та дій влади, довіра до соціальних інститутів (лютий–березень 2023р.)», Разумков центр, 15 March, 2023.  (accessed 14 May, 2023)
[9]«Шмигаль прокоментував об'єднання Мінінфраструктури й Мінрегіону», УКРІНФОРМ, 1 December, 2022.  (accessed 14 May, 2023)

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