コメンタリー

2024 / 07 / 16 (Tue.)

田中祐真「2022年夏以降のウズベキスタン内政の動き ―「改革者」の権威主義への回帰?―」(ROLES Commentary No. 26)

2016年、イスラム・カリモフ前大統領の急死に伴ってウズベキスタン共和国大統領となったシャフカット・ミルジヨーエフは、ソ連型の国家主導経済を好んだ前任者と異なり、外資を呼び込みながら市場メカニズムを導入し、経済の効率化に努めることで、金融と貿易を通じて国家を世界経済に統合するべく躍進した[1]。汚職対策を掲げ、一部の政権批判的なウェブサイトの禁止措置を解除したり、ソ連以来の伝統産業である綿花産業における強制労働も廃止[2]するなど、国内外で「改革者」[3]とみなされてきた。

ウズベキスタンをThe Economist誌による2019年のCountry of the Year[4]とするまでに至ったミルジヨーエフ大統領であったが、2022年の夏頃からその改革の勢いは停滞し、従来の抑圧的な体制に回帰するのではないかとの懸念を呼び得る動きを見せている。
 

憲法改革と大統領選挙
2023年大統領選挙の投票箱の前で記念撮影を行うミルジヨーエフ大統領一家(出典:ウズベキスタン大統領府公式サイト)

ウズベキスタン共和国憲法は、1992年12月8日に成立した後、2022年までに16回の改正が行われてきた。「新しいウズベキスタン(Yangi O’zbekiston)」を標榜するミルジヨーエフもまた、政権についた後の2017年には司法システムの近代化に係る改正を、2019年には「政府とそのアカウンタビリティの民主化」に向けた改正を行っている[5]

ミルジヨーエフは、2021年の大統領選で再選された後に発された、憲法記念日に際しての国民に向けたメッセージ[6]にて、憲法改革の重要性を強調し、改正の主な方向性を示した。翌年5月には憲法改正に向け委員会が設置され国民から憲法改正の提案と要望がオンラインで集められ[7]、ミルジヨーエフは国民の関心が高いことを受け、国民投票を通じた憲法改正の実施を提案した[8]。同年6月25日、憲法改正案が発表された[9]が、同改正案は国内外で多くの議論を呼び、次項で示すカラカルパクスタン共和国での悲劇の要因ともなった。また、このほかに大きな注目を集めたのが、大統領任期の5年から7年への変更である。

それまでの憲法では、大統領任期は5年、最大2期までとされており、ミルジヨーエフが2期目の当選を果たした直後に憲法改正の話題を持ち上げたことから、国内外の専門家からは、ミルジヨーエフが憲法改正を推し進める最終目的は、カリモフ前大統領がそうしてきたと同様に、大統領任期の延長ではないかとの推測がなされてきた[10]。しかしながら、改正案発表前の6月17日、サドゥク・サフォエフ上院副議長は「憲法改正後は改正前の憲法に基づく大統領任期が『ゼロになる(обнулят)』」旨発表[11]し、ミルジヨーエフがカリモフの手法を踏襲して長期にわたって大統領職に君臨することを目論んでいる可能性が濃厚となった[12]。同副議長の当該発言が、欧州安全保障協力機構(OSCE)が2021年大統領選挙監視ミッションの最終報告書を提出した直後になされていることにも注目すべきであろう。

2022年6月に発表された改正案は、後述のカラカルパクスタンでの抗議などを受け一部変更されたが、大統領任期に関する条項は据え置きとなった。国民投票の実施は翌年に延期となり、2023年4月30日には国民の圧倒的賛成多数[13]で新憲法が成立、同5月1日から発効した。5月8日、ミルジヨーエフは、残りの任期3年半を放棄し、臨時選挙を実施する旨発表し、7月9日の投票において87.05%の得票率で「新たに」選出された。

国民投票による憲法改正に伴う大統領任期の5年から7年への拡大という点では、2022年に先行して憲法改正を行ったカザフスタンのカスム=ジョマルト・トカエフ大統領との類似性[14]が指摘できよう。
 

カラカルパクスタンでの悲劇
ヌクスでの抗議デモ(出典:Makan.uz)

カラカルパクスタン共和国はウズベキスタン北西部に位置し、同国の国土の約40%を占める。その大半は砂漠地帯であり、国内で最も貧しい地域となっている。主な住民であるカラカルパク人は、民族的にはカザフスタンの主要民族であるカザフ人に近縁とされる。
歴史的経緯[15]から、ウズベキスタン憲法の第70条では「主権あるカラカルパクスタン共和国は、ウズベキスタン共和国を構成する。カラカルパクスタン共和国の主権は、ウズベキスタン共和国によって保護される」との記載があり、「主権」の存在が明示的に規定されている。また第74条では住民投票によりウズベキスタンから分離独立する権利を有していることが明記されている。

しかしながら、2022年6月に提示された改正案では、第70条からは「主権」の語が削除されてウズベキスタンを構成することのみの記載となり、代わりにカラカルパクスタン共和国領内で「ウズベキスタン共和国の憲法と法令に規定されたすべての権利と自由が保証される」旨が追記された。また第74条からは「分離独立」に関する記載が全て削除され、カラカルパクスタンの立法・行政・司法の権限がウズベキスタン及びカラカルパクスタンの憲法と法令に基づいて執行される旨の内容に変更されている。7月、カラカルパクスタンの首都ヌクスをはじめとする都市では、これを不服とするカラカルパク人住民らによる大規模なデモが発生、鎮圧にあたった法執行機関と衝突し、多数の死傷者を出すに至った[16]
 こうした出来事が大きな反響を呼んだこともあり、結局のところ改正憲法の記載内容は元のとおりカラカルパクスタンの「主権」と「分離独立の権利」を明記したもののままとなったが、少数民族によるデモの暴力的な手段による鎮圧は、将来への禍根を残し得るものであったと言わざるを得ないであろう。

大規模なデモが治安部隊の介入によって死者を出す事態となり、また憲法の改正に影響を与えたという点では、再びカザフスタンとの類似性[17]が指摘できる。ただし、カザフスタンにおけるデモが全体として社会的・政治的なものであったのに対し、ウズベキスタンの場合はカラカルパク人という少数民族のアイデンティティにも関わるものであるため、よりセンシティブであると言えよう。

なお、カラカルパクスタンでの事件が発生した直後、当時のザイニロビッディン・ニゾミッディノフ大統領府長官が解任されている。事件との関連性は不明であるが、ニゾミッディノフは憲法改正に反対の立場であったとされている[18]。その後任として大統領府長官に据えられたのが、ミルジヨーエフの寵愛を受けていたサルドール・ウムルザコフであった。
 

長女への継承の動き?
ミルジヨーエフの「お気に入り」だったサルドール・ウムルザコフ(出典:Газета.uz)
 
ウムルザコフは2019年に投資対外貿易相に就任、翌2020年には副首相兼投資対外貿易相に格上げされている。父ウクタムはミルジヨーエフの恩師であり、ミルジヨーエフのキャリア形成に影響を与えたことが知られている[19]。英国での教育を受け、ウズベキスタンの世界貿易機関(WTO)加盟交渉を主導するなど積極的な姿勢を示してきた40代なかばのウムルザコフが大統領府長官に任命された際には、彼がミルジヨーエフの後継者となるであろうことが以前に増して確実視されつつあった。

しかしながら、ウムルザコフは僅か1年ほどで大統領府長官を解任されている。新設の「大統領特命顧問」に任じられてはいるものの、その後ミルジヨーエフと共に行事に参加する姿が見られなくなり、大統領府付属の企業家支援協議会からも去ったようで、事実上の追放を受けたとみなされている[20]。この人事の背景については、ウムルザコフがミルジヨーエフに代わって地方の幹部数名を叱責の上解任を告知したり、エネルギー危機に際してエネルギー部門の役人を犯罪捜査にかけるとして脅したりといった強権的な行動を取っていたこと[21]や、ウムルザコフが地方で自身に直属する部署の設立を図るかのような動きを見せていたことがあるのではないかとされている。つまり、これらの行動が、あたかもウムルザコフがもう一つの権力構造を作ろうとしているかのように映り、政権内部での陰謀の可能性に神経を尖らせているミルジヨーエフを恐怖させたのではないか[22]、との見解である。このほか、ウムルザコフはミルジヨーエフの長女サイーダとの間に「見解の相違」を抱えていたとする指摘もある[23]
 
ミルジヨーエフ大統領長女 サイーダ・ミルジヨーエヴァ(出典:ウズベキスタン大統領府広報)

サイーダ・ミルジヨーエヴァは1984年生まれで、2019年から2020年まで大統領府付属情報・マスコミ庁副長官、2020年から2022年まで国家マスメディア支援・発展社会基金副理事長を務め、2022年11月には大統領府通信・情報部門長となっていた。2023年8月にウムルザコフの長官職解任の報が出された前後からサイーダの「大統領第一補佐官」への就任の噂が流れていたが、同月25日に正式にこれに任命[24]された。ミルジヨーエフの新体制によれば、大統領第一補佐官は国内で序列第2位のポジションとなる[25]

大統領が自身の子を要職につけたり後継者としたりする例は中央アジアでは度々確認されている[26]が、息子ではなく娘の重用という観点では、大統領の次女オゾダ・ラフモンが大統領官房長官を務めるタジキスタン、大統領長女のダリガ・ナザルバエヴァが上院議長に据えられていた[27]ヌルスルタン・ナザルバエフ大統領時代のカザフスタンとの類似性が指摘できる。隣国カザフスタンでダリガが大統領となる可能性を国民の多くが強固に拒絶したように、中央アジア諸国では未だ女性がリーダーとなることに忌避感が見られる[28]が、ミルジヨーエフは、若いサイーダをナンバー2に置くことで、新しいウズベキスタンのイメージとしてウズベキスタン社会における女性の地位の向上と自由な女性のイメージを醸成しようとしたのではないかと考えられる。また、上述のようにミルジヨーエフが政権内での「陰謀」に恐怖を募らせていたのだとすれば、信頼できる肉親であり、露出が多いながらも特段のスキャンダルの無いサイーダをこのポストに置いたのも理解できるところであろう。

なお、同じ大統領息女としてサイーダともよく対比される、カリモフ前大統領の長女グリナラは、サイーダと異なり政権の中枢に地位を得たことはなかった[29]

ウズベキスタンの政権もこの人事の国内外における注目を意識してか、もしくは大統領府の新体制の動きを敢えて明らかにしないためか、大統領府のサイトではサイーダを含めミルジヨーエフ以外の人物に関する情報がほとんど公開されていない。サイーダの活動については本人のSNSにおける報告が主となっている。
ウズベキスタン大統領府公式サイトの「幹部」ページ。2024年7月上旬時点で「情報更新中」とのみ記載されている。(https://president.uz/oz/site/managers?menu_id=15)
ウズベキスタン大統領府公式サイトで「Saida」と検索すると2023年8月25日付けのサイーダのプロフィールページと思われる結果がヒットするが、クリックすると「ベージが見つかりませんでした」との表示が現れる。他の幹部プロフィールページも同様。(https://president.uz/oz/search/index?SearchForm%5Btext%5D=saida)
 

権威主義的政権への逆行
以上の一連の出来事からは、ミルジヨーエフ政権が抑圧的な体制へ再び回帰しつつあることが示唆される。

カラカルパクスタンでの事件が収束した後にも、当時拘束された活動家を支持して再び声を挙げる若者たちがいた。しかし治安機関は、これら若者を郊外の廃墟に連行し、直接的な言葉で「殺すぞ」と脅迫した上、現地住民には親族が当局に拘束された事実を公にすることも、弁護士を呼ぶことも、容疑を否認することすらも禁じたのである[30]。このほか、カラカルパクスタン問題にかかわらず、大統領批判を行ったジャーナリストやブロガーが逮捕され精神病院に収容される例が増加している[31]

中央アジア随一の人口規模と歴史的に根付いた商業の習慣から、隣国カザフスタンを凌ぐ経済的なポテンシャルを秘めつつも、カリモフ政権下で閉鎖経済の状態にあったウズベキスタンは、ミルジヨーエフの「開国」によってようやくその潜在能力が開花するはずであった。しかしながら過去数年間、当初順調だったかに見えた改革は停滞し、特に政治及び社会の面においては、長期政権化を正当化するための制度変更、抑圧的な情報統制と言論統制、世襲的なインナーサークルによる国家運営、少数民族を含む反体制分子の排除といった、中央アジアの他の隣国やカリモフ政権下のウズベキスタンと酷似する、典型的な権威主義国家の色合いが再び濃くなりつつある。



[1]Terzyan, Aram, “Change and continuity: Kazakhstan and Uzbekistan after Nazarbayev and Karimov”, EMERGING EUROPE, 19 January, 2021. <https://emerging-europe.com/voices/change-and-continuity-kazakhstan-and-uzbekistan-after-nazarbayev-and-karimov/> (accessed 20 June, 2024)
[2]“Uzbekistan has succeeded in abolishing forced labour”, The Economist, 5 March, 2022. <https://www.economist.com/asia/2022/03/05/uzbekistan-has-succeeded-in-abolishing-forced-labour> (accessed 20 June, 2024)
[3]Benson, Brawley, “Uzbekistan’s Reformist President Makes a U-Turn”, Foreign Policy, 28 July, 2023. <https://foreignpolicy.com/2023/07/28/uzbekistan-mirziyoyev-reelection-reform-democratic-backsliding/> (accessed 20 June 2024)
[4]“Which nation improved the most in 2019?”, The Economist, 21 December, 2019. <https://www.economist.com/leaders/2019/12/21/which-nation-improved-the-most-in-2019> (accessed 20 June, 2024)
[5]Кари, Куанышбек "«Подстроить под себя». Почему непостоянны конституции в странах Центральной Азии?", Радио Озодлик,  10 May, 2022. <https://rus.ozodlik.org/a/31842231.html> (accessed 23 June, 2024)
[6]“Праздничное поздравление народу Узбекистана”, ПРЕЗИДЕНТ РЕСПУБЛИКИ УЗБЕКИСТАН, 7 December, 2021. <https://president.uz/ru/lists/view/4815> (accessed 25 June, 2024)
[7]6月11日時点でおよそ2万件の提案が集まり、寄せられた意見の70%が30歳以下の若年層からのものであったという。 "В Узбекистане 70 процентов предложений о внесении изменений в Конституцию поступили от молодежи”, Радио Озодлик, 13 June, 2022. <https://rus.ozodlik.org/a/31895742.html> (accessed 25 June, 2024)
[8]同大統領によれば提案の中には死刑の復活を望む意見も見られたようで、これについて自身は死刑復活に反対であるとしたうえで、死刑の禁止も改正憲法に明記するべきであろうとの見解を示した。 “Президент Мирзиёев предложил референдум по поправкам к Конституции: они «обнулят» его сроки по образцу Путина”, Радио Озодлик, 21 June, 2022. <https://rus.azattyq.org/a/31907465.html> (accessed 25 June, 2024)
[9]"ПРОЕКТ КОНСТИТУЦИОННОГО ЗАКОНА Республики Узбекистан”, kun.uz, 25 June, 2022. < https://storage.kun.uz/source/uploads/2022/%D0%97%D0%B0%D0%BA%D0%BE%D0%BD%D0%BE%D0%BF%D1%80%D0%BE%D0%B5%D0%BA%D1%82.pdf> (accessed 25 June, 2024)
[10]“Садык Сафоев: Президентский срок Мирзияева будет «обнулен»”, Радио Озодлик, 17 June, 2022. <https://rus.ozodlik.org/a/31902325.html> (accessed 25 June, 2024)
[11]Ibid.
[12]当時のミルジヨーエフの任期は2026年までであり、仮に同年に「新憲法に基づく大統領選挙」が行われ、そこでミルジヨーエフが新憲法の下で「初めて」出馬して大統領に選出されるとすれば、ミルジヨーエフは最大で2040年まで大統領の座にあり続けることが可能となるとされた。ただし後述のとおり、改正憲法採択直後には再度大統領選が行われたため、現時点で再選を含めた最大の任期は2037年までとなる。
[13]中央選挙管理委員会の発表によれば投票率84.54%、賛成90.21%であった。 “Конституция Узбекистана в новой редакции вступила в силу. Мирзияев пока хранит молчание об «обнулении» своих президентских сроков”, Радио Озодлик, 2 May, 2024. < https://rus.ozodlik.org/a/32388697.html> (accessed 25 June, 2024)
[14]カザフスタンでは、大統領任期が1期5年最長2期までであったが、1期7年再選なしに変更されている。
[15]カラカルパクスタンは、1930年までは「カラ・カルパク自治州」としてカザフ・ソビエト社会主義共和国を構成、その後ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国に移管され、1932年には自治共和国となり、1936年にウズベク・ソビエト社会主義共和国に組み込まれた。1990年、カラカルパク自治ソビエト社会主義共和国議会は国家主権を宣言、国名から「自治」の語を廃してカラカルパク・ソビエト社会主義共和国となり、1992年にはカラカルパクスタン共和国へと改組されたが、1993年、ウズベキスタンとの国家間合意に基づき、20年の期限つきで自治共和国としてウズベキスタン共和国に組み込まれることとなった。
[16]ウズベキスタン検事総局によれば、死者21名、負傷者200名以上とされているが、現地での証言などから死者数はこれよりも遥かに多かったであろうことが指摘されており、インターネット上では、川のように流れる血で染まった通りで治安部隊が収拾にあたっている様子を映した映像が拡散されている。
[17]2022年1月、カザフスタンでは燃料価格の高騰に端を発するデモが生じ、ついには格差是正など政治に不満を持つ多くの国民を巻き込んだ大規模なデモに転じた。トカエフ政権は国内の治安維持の名目で集団安全保障条約機構(CSTO)からの部隊派遣をロシアに要請、デモ隊は鎮圧された。その後、トカエフ大統領は国民投票を通じて憲法を改正した。
[18]“Глава администрации Мирзиёева лишился должности. Это первая отставка после протестов в Каракалпакстане”, Радио Азаттык, 9 July, 2022. <https://rus.azattyq.org/a/31935720.html> (accessed 25 June, 2024)
[19]Rickleton, Chris, “More Than Nepotism? New Position For Uzbek Leader's Daughter In The Spotlight”, RadioFreeEurope/RadioLiberty, 24 November, 2022. <https://www.rferl.org/a/uzbek-leaders-daughter-government-positions/32147041.html> (accessed 25 June, 2024)
[20]“Uzbekistan: Presidential administration shakeup hints at nervousness among leadership”, eurasianet, 7 September, 2023. <https://eurasianet.org/uzbekistan-presidential-administration-shakeup-hints-at-nervousness-among-leadership> (accessed 25 June, 2024)
[21]Ibid.
[22]Медведев, Иван, “Возможен ли в Узбекистане транзит власти от действующего президента к его дочери?”, BFM.RU, 19 August, 2023. <https://www.bfm.ru/news/532039> (accessed 25 June, 2024)
[23]“Саида Мирзияева становится действующей главой Администрации президента”, Радио Озодлик, 18 August, 2023. <https://rus.ozodlik.org/a/32553298.html> (accessed 25 June, 2024)
[24]“В Администрации Президента Республики Узбекистан проведены назначения”, ПРЕЗИДЕНТ РЕСПУБЛИКИ УЗБЕКИСТАН, 25 August, 2023. <https://president.uz/ru/lists/view/6615>  (accessed 25 June, 2024)
[25]序列の筆頭は当然ながら大統領であり、2番目の大統領第一補佐官以下は、大統領補佐官、大統領府部局職員、大統領顧問、の順となる由。なお、これによればウムルザコフの「大統領特命顧問」の職は序列第5位となる:Ахунов, Азат, "«Новая узбекская принцесса»: дочь президента Мирзиёева готова занять пост номер два в стране", БИЗНЕС Online, 20 August, 2023. <https://www.business-gazeta.ru/article/604081> (accessed 28 June, 2024)
[26]例えば、タジキスタンではエモマリ・ラフモン大統領の息子、ルスタム・エモマリが上院議長兼ドゥシャンベ市長を務めており、またトルクメニスタンのセルダル・ベルディムハメドフ大統領は前大統領のグルバングル・ベルディムハメドフの息子である。
[27]カザフスタン憲法第48条によれば、何らかの理由で大統領が不在となった際、上院議長が大統領代行を務めることとなっている。2019年のナザルバエフ大統領退任の際には、この規定を以て当時の上院議長であるトカエフが大統領代行(ただし公式には「代行」の語は使われていない)となった。
[28]ただし、ダリガに関しては女性であること以外にも、その周辺人物の汚職やマネーロンダリングといった黒い噂による不人気もあったことに注意。
[29]グリナラは、外交関連の要職についた経歴はあり、2008年には外務副大臣、2010-2012年には在スペイン・ウズベキスタン大使を務めたが、実業家やファッションデザイナーとしての活動もよく知られる。カリモフ政権下の2013年から横領の疑いで自宅軟禁となり、2019年には公金横領及び国益に反する契約の締結、並びに、強要による他者の財産の占有の罪で13年4か月の収監となった。
[30]“«Отвозят в заброшенное здание на окраине Нукуса». Как спецслужбы Узбекистана давят на каракалпакскую молодёжь”, Радио Азаттык, 29 January, 2024. <https://rus.azattyq.org/a/32795913.html> (2 July, 2024)
[31]“«В Узбекистане за критику президента блогеров сажают в тюрьму и отправляют в психиатрические лечебницы”, Радио Азаттык, 14 January, 2024. <https://rus.azattyq.org/a/32773597.html> (2 July, 2024)

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