論文

2021 / 03 / 31 (Wed.)

ROLES REPORT No.3 小宮山功一朗『サイバー空間と 民主主義の断層』

1 はじめに

1.1 アラブの春と香港のあいだ(問題の所在)
サイバー空間は世界をどのように変容させるのか。とりわけ民主主義体制にどのように働きかけるか。これが本 論の主たる問いである。
およそ10年前に中東において、アラブの春と呼ばれる一連の民主化運動が起こった。この運動はサイバー空間 無しには実現しなかった。チュニジア、エジプト、リビアなど複数の国で、ソーシャルメディア上の投稿が政治体制・ 支配層に対する一般国民の怒りをエスカレートさせ、結束を促し、結果として独裁体制や権威主義体制をとる政権 が転覆した。スマートフォンを武器にして、体制と対峙する個人のイメージが広く世界を駆け巡った。
サイバー空間やインターネットは、情報の双方向のやり取りを前提とする新たな技術革新である。その双方向性は、 個人が相互に情報を交換する機会を増やし、情報の自由な流通がもたらし、情報格差が是正するとされてきた。や がて世界にバラ色の民主主義社会をもたらすと期待されていた。
月日が経ち、我々はスマートフォンやサイバー空間が体制による統制を強化する光景を、より多く目の当たりにし ている。2019年春から続く香港での民主化デモがその好例である。デモの参加者は、顔認識技術によって特定されるのを避けるためにマスクを着用し、市中の監視カメラを引き倒し、地下鉄に乗車する際にICカードを使わずにあえて現金で切符を購入した。そして、スマートフォンを使った通信を避けるためにトランシーバーを用いたり、サー バと通信しない P2P 型のチャットソフトを用いたりした。民主化運動の参加者は、サイバー空間をもはや当局が支 配する世界として扱った。  2つのケースからは、2010年のアラブの春から、2019年の香港の民主化運動の間に、サイバー空間に何らかの変 化が起きたと考えるのが自然であり、そしてその変化はおそらく2030年のサイバー空間を占う重要な要素になる。

1.2 民主主義の苦境の犯人探し(先行研究)
社会の変容、とりわけ安全保障を含めた国際関係の変容を迫る技術革新は絶え間ない。飛行機、潜水艦、ミサイ ルと核兵器、宇宙技術は、そのほんの一例である。
情報を伝達する技術に限定しても、活版印刷、腕木通信、電信、 テレビなどを挙げることができる。これら既存の技術革新と本論が取り扱うサイバー空間には、大きな違いが存在している。
サイバー空間は僅か30年で我々の生活の一部となった。大量の情報を一瞬で流通させるのはもちろんの こと、情報の双方向のやり取りを可能にした。既存のメディアの一方的に情報が提供される構図と異なり、サイバー 空間においてコンテンツを提供しているのはユーザ自身であるともいえる。  多くの未来学者や情報学者はこのサイバー空間の双方向性に着目し、個人が相互に情報を交換する機会を増やし、 情報の自由な流通がもたらされ、情報格差が是正され、やがて「世界にバラ色の民主主義社会をもたらす」と予測した。 
ところが世界を見渡せば、2016年のアメリカ大統領選挙を境に、民主主義には明らかな逆風が吹いている。洋 の東西を問わず、民主主義の後退と権威主義や力の支配する政治の台頭が指摘されている。この苦境の犯人探しも活発だ。スティーブン・レビッキー(Steve Levitsky)らは民主主義の歴史を紐解き、民主的な選挙を経た指導者が、 その権力を用いて民主主義を静かに破壊する自傷行為とも言える現象を見出した。あるいはパラグ・カンナ(Parag Khanna)のように、有効な政治体制として、純粋な民主主義ではなく、テクノクラシーと民主主義が掛け合わされ た新たな形を提唱するものもいる。 
既に触れた香港の民主化運動の事例を再び振り返れば、民主主義の苦境の原因の中には、サイバー空間に起因 するものがありそうである。そこで本論はこれまで行われてきた民主主義の苦境の犯人探しの先行研究を発展させ、 あまり触れられて来なかった、サイバー空間という新技術が民主主義にどのように作用したかを解き明かしたい。

1.3 本論の構成と用語の定義
本論の構成は以下のとおりである。
まず2章では1990年代から広く信じられてきた、サイバー空間が民主主義を 広げる、民主主義国家を増やすという言説の存在とその根拠を分析する。あわせて支配者不在の無秩序な世界と いう、国際関係論の古典的仮説が現実化したサイバー空間が、民主的価値を重んじて管理されてきたことを明らか にする。
第3章では、一転して民主主義とサイバー空間の現在の関係に注目する。非民主主義国家とテックジャイア ントがそれぞれにサイバー空間を活用して影響力を強め、相対的に民主主義国家の立場が弱まっていることを論じる。 
続く第4章では、民主主義とサイバー空間を共存共栄するための道筋として、考えられるオプションをいくつか提示する。
第5章ではこれらの議論をまとめ、本論の課題についても触れる。
ここで、いくつかの重要な用語の意味する所について明らかにしておきたい。
「サイバー空間」という言葉の定義は現在も統一されていない。本論ではサイバー空間を、「インターネットや、携帯電話網などの各種のネットワーク と、それを構成する通信回線や記憶装置や端末といった各種のハードウェアとその上をやり取りされるデータの集合」 と暫定的に定義する。
ある国の政治体制が民主主義なのか、権威主義なのか、全体主義なのか断定することは難しい。本論で「民主 主義国家」といった場合には、情報の共有や拡散に高い価値を置き、それが民主主義の発展を促すことを積極的に 認める国家を意味する。G7に加盟する先進自由主義国家群、より具体的には米国、英国、フランス、ドイツ、イタリ ア、カナダ、日本などがこれに当てはまる。逆に「非民主主義国家」は、個人の政治への参加ができず、政府の権力 が個人に対して恣意的に行使されている全体主義や権威主義国家群を意味する。具体的には、中国、ロシア、北朝 鮮7、サウジアラビアなどの中東イスラム諸国がこれに当てはまる。 
最後に、「テックジャイアント」とは特定の国家や社会に収まらず、グローバルな市場において利益を追求し、特に情報技術を駆使する企業群のことである 。 GAFAと総称されるグーグル社 、アマゾン社 、フェイスブッ ク社 、アップル 社はもちろんのこと、マイクロソフト社、ツイッター社などを念頭においている。

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