コメンタリー

2024 / 09 / 10 (火)

金成隆一「トランプ王国」あれから8年 ラストベルト再訪の旅 第1部 揺れ続けるペンシルベニア州

前大統領トランプへの支持を呼びかける選挙用ヤードサイン。遠くに雨雲が見えた

2024年アメリカ大統領選は、9月2日のレーバー・デー(労働者の日)を経て、いよいよ最終盤に突入した。前大統領トランプの暗殺未遂事件、現職大統領バイデンの電撃撤退、副大統領ハリスの継承と支持率の急伸など、連日の大ニュースに追われ、現地で取材する日本の記者も目の回る日々を送っていることだろう。

全米の選挙集会に足を運ぶ。飛行機で拠点空港まで移動し、そこからレンタカーでアメリカ大陸を走り回る。睡眠時間を削りながら、毎週のように1千キロを移動している記者もいるかもしれない。

 それだけ取材に回っても、少なくなりがちなのが地方発の情報だ。候補者の取材で地方を転戦しても、じっくり取材して回るほどの時間は確保できない。そこで今回は3回に分けて、選挙戦の行方を左右するとみられている中西部ラストベルト(さび付いた工業地帯)の政界関係者や有権者の声を伝えたい。新聞社のニューヨーク特派員だった筆者が2015年以降に継続取材してきた人々だ。今回は夏季休暇を兼ねて7月3日~12日にペンシルベニア州、オハイオ州、ミシガン州をレンタカーで回った。

ニューヨークのJFK空港からオハイオ州ヤングスタウンなどを経て、ミシガン州へのおおまかなルート。寄り道をたくさんしたので往復での走行距離は1629マイル(2621キロ)に及んだ
 

 ちなみに大統領選の勝者が、2008年と2012年の民主党オバマから2016年のトランプに変わった「Pivot Counties(方向転換した郡)」は、選挙サイト「バロットペディア」によると全米に206あるが、今回のルートにはペンシルベニア州とオハイオ州で1カ所ずつ含まれている。[i]

 走行距離1629マイル(2621キロ)。ニュアンスも含めて、現地で暮らす人々の認識をお伝えしたい。第1部は、ペンシルベニア州から伝える。
 
■ずっと高くなったガソリン代
 ニューヨークのJFK空港でレンタカーを借りる。係員にはスバル車を勧められたが、どこかで自動車工場の労働者を取材したり、労働組合に立ち寄ったりする展開に備え、念のため米車シボレーを借りた。(日本の記者が日本車で乗り込んできた、と受け取られないように)
 
オハイオ州北東部にある全米自動車労組(UAW)支部は、入り口に「注意! GM、フォード、クライスラー以外の車両は裏手の駐車場へ」との看板を掲げている。正面に駐車できるのは米車だけだ(2018年11月撮影)

 ニューヨークから、ひたすら西をめざす。ニュージャージー州を超え、ペンシルベニア州に入る。序盤は車の通行量が多く、独特な運転スタイルや暴走系のドライバーもいて注意が必要だが、ペンシルベニア州に入るころには車間距離も広がり、風景を楽しむ余裕を持てるようになる。南北にアパラチア山脈が走っており、山越えのようなドライブになる。

アパラチア山脈を越える山道。ひたすらアクセルを踏む


 高速沿いにあるガソリンスタンドの電光掲示板は、レギュラーガソリン1ガロン「3ドル63セント(現金払い)」と伝えていた。これは高い。米公共放送PBSによると、2021年1月のバイデン政権発足以降の3年半で、ガソリン価格は55%上昇したという。[ii]「超」がつく車社会のアメリカ。ガソリン価格が高止まりする中での選挙戦に、政権を担う民主党が苦労するのは避けられそうにない。

 ちなみに今回の取材旅行で給油した、残りのガソリンスタンドの領収書で確認すると、1ガロン当たりの価格は「3ドル69セント」「3ドル29セント」「3ドル45セント」だった。
 
2024年7月8日、レギュラーガソリン1ガロンは3ドル63セント(現金払い)だった。1ガロンは約3・8リットル
トランプ政権下の2018年12月30日、レギュラーガソリン1ガロンは2ドル35セントだった。トランプを筆頭に共和党はガソリン代の高止まりを民主党批判に使っている
  
■なぜ大統領選でペンシルベニア州を取材するのか

ニューヨークタイムズは7州を「揺れる州」と位置づけている(出典The New York Times)


大統領選におけるペンシルベニア州(上記ニューヨークタイムズの地図では「Pa.」と表示)の位置づけを簡単に説明しておきたい。なぜ、この州を優先的に取材するのか。

 アメリカ大統領選は事実上、2大政党の指名を受けた候補が各州の勝敗を通じて、各州の規模に応じて割り当てられた選挙人の数を積み上げる。最多のカリフォルニア州で勝てば54人、テキサス州で勝てば40人という具合だ。選挙人の総数は538人なので、270人を集めた方が勝者となる。

 ただ、ほとんどの州では、どちらの政党候補が勝つのかが見えている。リベラルなカリフォルニア州では民主党が、保守的なテキサス州では共和党が優勢だ。最初から結果がわかっているので、これらの州での選挙運動は候補者が熱心に足を運ばず、あまり盛り上がらない。
 
 一方、どちら党の候補にも勝機が残っている州は7つ(ペンシルベニア、ミシガン、ウィスコンシン、ノースカロライナ、ジョージア、ネバダ、アリゾナ各州)ある。これらの州では、両党が集中的に選挙戦を展開し、勝者がひんぱんに入れ替わるため「激戦州」や「揺れる州」と呼ばれている。

 ペンシルベニア州は、激戦州の中で最多の選挙人19人(2020年大統領選では20人)を持つ。

ちなみにトランプ当選で世界を驚かせた2016年大統領選では、ペンシルベニア州は、ウィスコンシン州、ミシガン州と共に民主党の「ファイアウォール」(防火壁)と呼ばれていた。それは、この3州では民主党候補は20年間以上も大統領選で勝ち続けていたからだ。民主党ヒラリー・クリントンは絶対に負けてはいけないこのエリアで連敗し、大統領選に敗れた。
 
しかし、2年後の2018年中間選挙では民主党候補が、いずれの州でも知事選と上院議員選の両方で共和党候補を破り、2020年大統領選では民主党バイデンが3州の奪還に成功した。

 つまり、近年の大統領選では、この3州での勝者が、そのまま全米での勝者になったことになる。

■オバマ2連勝の後にトランプ2連勝の町、今年どうなる?
アパラチア地方を抜ける。時間節約のため高速道路は仕方なく使うが、なるべく人々の暮らしぶりが見える下道を行きたい


 ペンシルベニア州は「真ん中はアラバマ」と言われる。共和党が圧勝する南部アラバマ州のことで、州の東部と西部の都市部を除く「真ん中」では、共和党候補が常勝してきたことを意味している。東部にはフィラデルフィアやアレンタウン、西部にはピッツバーグの都市圏があり、ここでは民主党候補が強い。共和党が地方(真ん中)で、民主党が東西の都市圏で票を稼ぎ、全州での総得票数を競う構図だ。
 
2020年大統領選のペンシルベニア州の結果。赤い郡でトランプが、青い郡でバイデンが勝利した。中央にある青い郡には大学があり、真ん中では例外的に民主党が勝利した(出典 ポリティコ)


 このペンシルベニア州でおもしろいのがルザーン郡(Luzerne County)だ。人口32万。民主党と共和党のどちらにも勝機があり、熱い選挙戦の舞台となる。実際、選挙サイト「バロットペディア」によると、民主党オバマが2連勝の後、共和党トランプが2連勝した。2016年大統領選で勝者がオバマからトランプに変わった「Pivot Counties」の一つだ。
 
オバマが2008年(8・41ポイント差)、2012年(4・81ポイント差)と連勝した後、2016年にはトランプが19・31ポイント差で勝った。トランプは24ポイントをひっくり返したことになり、「トランプ旋風」の象徴的な現場となった。

 そして2020年の大統領選でも、トランプが14・37ポイント差で連勝。リードは5ポイントほど縮まったが、それでもトランプ熱は続いていたと言えるだろう。
 
ペンシルベニア州ルザーン郡


 このエリアが気になるので、最初の停車はルザーン郡にしよう。地元政治に長く携わってきた元民主党委員長ジョン・ペカロフスキに再会した[iii]。彼は地元民主党トップとして、2020年のバイデン勝利を支えた人物の一人だ。

大統領候補(当時)バイデンと写真に収まるペンシルベニア州ルザーン郡の民主党委員長ジョン・ペカロフスキ(当時)=本人提供


 6年ほど前、2018年12月のインタビューでは、同年11月の中間選挙での民主党勝利を受け、ペカロフスキは、トランプ旋風は弱まり「潮目は変わった」との見方を次のように示していた。
 「興味深いのは、(中間選挙のときに)トランプがこの郡までやって来て、共和党候補のための集会を開いたが結果を出せなかったという事実。(郡内の中心部)ウィルクスバリの集会で8千人を集めたが、それでも勝てなかった」
 
 共和党に流れた元民主党員の全てを取り戻せたわけではないが、民主党に残っている人々にきちんと投票を促せば負けることはない、と当時は語っていた。
 
■「潮目は変わった」と6年前に語った民主党幹部が「支持者が蒸発した」

ペンシルベニア州ルザーン郡の元民主党委員長ジョン・ペカロフスキ。仕事の合間にショッピングモールで取材に応じた


 ところが、今年のインタビューでは様子が違った。民主党の支持基盤を共和党にさらに切り崩されているという嘆きだった。潮が再び、逆流を始めた、という認識だ。
  「民主党の基盤は常に労働者階級の人々、労働組合員だったが、その多くが蒸発してしまったかのようだ」「労組の指導層は民主党を支持してくれるが、我々が目撃しているのは、一般の組合員たちは必ずしも民主党の哲学を受け入れなくなっていて、共和党に惹き付けられているということだ」

 その理由を次のように説明した。「なぜなら、彼らは今、共和党が民主党よりも労働者のために多くのことを実行していると考えているからだ。民主党は、現金給付や生活保護を(働こうとしない人々に)与えることを重視するようになった、と(従来の民主党支持層が)感じている」

 なぜ、民主党にそのようなイメージが広がっているのか。ペカロフスキは答えに2点を挙げた。「その認識は、特に政府支援の強まった新型コロナ禍に強まった。当時は、あらゆる場所が閉鎖されて働くことができなかった(ので仕方がない)。しかし、仕事に戻ることができるようになっても、多くの人はそうせず、その後も政府は支援をばらまき続けた。中には、生活保護に加え、補助金も受け取る人もいた。そのような認識から、多くの労働者階級の人々が、そもそも働こうとしない人々に、なぜ、自分たちが納めた税金が流れているのかと不満に思うようになった。働かずに自宅で座っている方が稼げるような仕組みになっている。働き口はたくさんあり、多くの企業は働き手を探すのに苦労しているというのに、というわけです」

 筆者が「コロナ対策はトランプ政権下で始まったのでは?」と確認すると、ペカロフスキは「それを手厚くしていったのはバイデン政権という認識が一般的だ」と答えた。

 ラストベルトでは、少なくとも2016年から「民主党は勤労者を世話する政党だったが、10~15年前ぐらいからか、民主党は勤労者から集めたカネを、本当は働けるのに働こうとしない連中に配る政党に変わっていった。勘定を労働者階級に払わせる政党になっていった」という認識は根強かった[iv]。それがコロナ禍を経て強まったということかもしれない。
 
■高まる「不法移民」への不満

移民や難民のシェルターになっているニューヨーク・マンハッタンの元ホテル(2024年7月12日撮影)


2点目には、不法移民の増加を指摘した。
「最も聞こえてくる声は、不法移民(undocumented illegals)が多すぎるという不満だ。働いていないのに、無料で健康保険も受け取る人もいる、と。彼らは、働いている(アメリカ)人よりも充実した医療サービスを受けている、というわけです」
「だから南部の国境管理が大問題になっている。働いている人々が、社会保険料や食費、家族の生活費を捻出するのに苦労している中、不法移民(the illegals)が入国し、サービス(freebies=料金を払わないでもらえるもの、の意)の提供を受けている、との認識から分断が起きている」

ペカロフスキは、労働者たちが我慢できなくなっている背景に生活水準の低下があると指摘した。「労働組合は常に民主党を支持してきた。それは民主党が労働組合と公正な労働、公正な賃金を支持してきたからだ。しかし、それはもう当てはまらないようだ。民主党の中で話題になっても実現しない。労働者階級はインフレで苦しんでいる。4人家族に、必要なものを買いそろえる余裕がない。彼らは、それは食料価格の高騰のためと考えている。彼らは賃金が以前ほど高くないと感じている。そして彼らは、自分たちが払っている税金の多くが労働者階級に還元されず、働けるのに働かない人に流れていると感じている。つまり(彼らにとって今の民主党は)同じ政党に見えていないのです
 
■民主党がペンシルベニア州で勝つ方法とは

 では、民主党が、ルザーン郡を含め、ペンシルベニア州で勝つにはどうするべきか。ペカロフスキは答えた。「(共和党員でも民主党員でもない)中間に有権者が残っているが、彼らは民主党と距離を置いている。彼らを惹き付けないといけない。そのためには民主党が草の根に立ち返って、働く人々をもっと支援する必要がある」

 そのためには民主党が選挙戦で経済問題を中心に据える必要があるという。
  「時間を費やすべき重要なことがある。医療費や食費の問題、インフレ対策です。人々にとって重要なものに常に優先順位をつける必要がある。それは、適切な医療を受け、公正な賃金を稼ぎ、家族を養うことです

ジェンダーや性指向、人種など、特定のアイデンティティに基づく集団の利益を代弁する主張は、少数者の権利擁護という点で重要だが、「選挙戦で訴える最優先の事項ではない」という趣旨かと筆者が確認すると、ペカロフスキは「その通り」と答えた。

 インタビューは、ルザーン郡にあるショッピングモールのピザ屋で実施した。ペカロフスキは、私が最初に取材したときから車両保険の営業員だ。この日も次の顧客との面会時間までの間にインタビューに応じてくれた。いわば彼自身も普通の「働く人」である。日々の仕事の傍らで、町議会議員を20年以上勤め、2018年に民主党委員長に当選した。

 ところが、民主党と共和党の対立が激しくなり、現実の政治を動かすための、これまでなら当然だったレベルの対話や協力が困難になる中、親友でもある州上院議員が民主党を離党し無所属になった。ペカロフスキはこの議員の関連団体で長く財務に携わってきたため「両立できない」として民主党委員長を辞任していた。[v]

ペカロフスキは、激しくなるばかりの党派対立に疲れ果てている様子だった。
「この6年間、多くの人が政党にうんざりして、政党を離れているように感じます。相手と口論するだけの(合意を探ろうとしない)政党には関わりたくないのです」
ペカロフスキ自身の心境のように聞こえた。
 
■「他人の掲げる希望に執着する土地」という説明
 
 ペカロフスキへのインタビューを終えると、筆者も空腹を感じたので、ショッピングモール近くにある飲食店「Panera Bread」に入った。パンやサンドウィッチだけでなくサラダもおいしい。アメリカでは野菜不足になることが多く、かなり重宝するチェーン店だ。
 
 食事を終えると、店の奥の座席で、1人で読書している男性に気づいた。スマホをのぞき込んでいる人は大勢いるが、書物を手にしている人は珍しい。声を掛けてみた。
 
 ニューヨーク市に生活拠点を移して20年以上になるが、18歳まで暮らした地元に帰省中のウィル・シュナイダー(51)だった。普段はニューヨークで事業を営む傍ら、ポッドキャスト配信もしているという。生まれ育った街(ルザーン郡)で、オバマが2連勝の後、トランプが2連勝したことを、どう捉えているかを尋ねると、こう答えた。

 「この地域は都会と違って焦らずに暮らせるが、住民には不満や憤りも強い。理由は、ここでは自分の可能性を存分に発揮できないと気づいているからだ。これが地域の政治を突き動かす。日々の自分の暮らしに希望や夢を探しても、見いだせない。それでオバマの『HOPE』や『Yes, we can』に熱狂し、次は、やはり『Make America Great Again』で希望を売ったトランプを支持した。自分の希望や夢の中で生きていけない場合、他人の掲げる希望に執着したくなる。外部からの影響を受けやすくなり、(タイプの異なるオバマとトランプの間でも支持が)揺れることになるのだと思う」

 興味深い考察だ。大都市と地方の両方を体験的に知るシュナイダーが常々感じてきたことだという。彼はさらに地域経済について話した。
 
 「ここは今、地域としてのアイデンティティを長らく模索中です。かつては無煙炭の採掘で豊かになれたし、私の親族もそこで働いたが、その時代はとっくに終わった。その後は大規模な工業団地ができて一時は機能したが、その仕事の多くも去ってしまった」
 
■「MAGAかWokeかの選択はきつい」
トランプ集会に集まった支持者が手にするのは「アメリカ製を買おう、アメリカ人を雇おう」とのメッセージ


実は身内にも、オバマからトランプへと「大きく揺れた」家族がいるという。
 
「地元に残っている兄は、2016年にトランプに投票し、『もう投票しない』と言っている。連邦政府の借金を増やしたからだ。国内に山積する社会問題の解決に資金が必要なので、海外の紛争に米国を介入させないトランプの姿勢は支持するが、彼は国中に混乱と戦争の分断を引き起こした。希望を売り歩いたが、一期目で指導者として無能であることが明らかになったというわけです」

 その兄だけでなく両親も含め、この地域の人々は投票先を探してさまよっているように感じるという。
  「共和党はMAGAカルトに乗っ取られ、民主党には極端に左傾化したWoke(地に足が着いていない理想主義者のニュアンス)がいる。右端と左端に20%ぐらいずつ極右と極左がいて、その間に残り60%ぐらいの穏健派がいる。私の家族は、この中間の人々で、自分の立場を代弁してくれる政党を探している。MAGAかWokeかの選択はできない」

シュナイダー自身は、2016年は第3党「緑の党」のジル・スタインに、2020年はコロナ禍という危機を乗り切るため民主党バイデンを支持したが、今回は無所属での立候補を表明しているロバート・ケネディ・ジュニア(RFK)を支持するつもりで、既に献金もしたと語った。

 ところが、このインタビュー後にRFKは撤退し、トランプ支持を打ち出した。トランプ陣営は、RFKを政権移行チームに加えたと伝えられている。きっとシュナイダーは家族と同様に支持できる候補者を求めてさまよい始めていることだろう。
 
■ハリスの弱点は「フラッキング禁止」
ペンシルベニア州西部の山間の風景

 バイデン撤退後に大統領候補になったカマラ・ハリスは、2020年大統領選予備選当時は民主党の中でも左派リベラルの立場からアピールしていた。その中には、今回の大統領選で、一部の穏健派の有権者を警戒させる可能性があるものがある。ニューヨークタイムズによると、ハリスは当時、移民税関捜査局(ICE)の廃止について「検討する」としたり、重犯罪者(felons)の投票権を認めるかのような姿勢を示したりしたほか、一部の銃についての「強制買い取り制度」への支持を表明したこともあるという[vi]。かなり条件をつけた文脈での発言であることもあるが、共和党側はそれぞれの発言を切り取って1分ほどの動画にまとめてSNSに投稿し、ネガティブ広告に使っている[vii]

ペンシルベニア州の給油所で昼食中の天然ガス採掘業の男性。ペンシルベニア州西部では、エネルギー業界の労働者によく出会う


中でも、ペンシルベニア州のようなラストベルト諸州で最も反発を受けるのは、原油や天然ガスを採掘する水圧破砕(フラッキング)に反対していた過去だ。2019年の気候変動をテーマにしたタウンホールで、ハリスは、フラッキング禁止の立場であることに「疑いの余地はない」と言い切っていた。筆者が取材してきた同州西部の採掘労働者らが震え上がるような発言だ。

当時はハリス自身が大統領に立候補していて、まずは民主党内レースの中で穏健派バイデンらを相手に気候変動対策で積極的な姿勢をアピールし、差別化を図る狙いがあったのだろう。ところが、大統領候補バイデンの副大統領候補になった時点で、その主張を封印。

そして大統領選の民主党候補となった今回、フラッキング禁止の主張を取り下げた理由を「フラッキングを禁止しなくても、私たちは(経済)成長し、クリーンエネルギー経済を拡大できる」と説明している。同時に「(2019年当時から)価値観は変わっていない。気候に関する明らかに危機への対策を真剣に考えることが重要だ」「気候変動危機は現実のものだ」とも強調することも忘れなかった[viii]。環境保護を重視する支持層を失望させないためのメッセージだろう。

天然ガス用パイプラインの敷設工事に走り回る建設業の夫婦。環境保護派を「木を抱きしめる人tree hugger」と呼んで批判した

 
2019年当時、カリフォルニア州選出の上院議員だったハリスにとっては「環境保護」の観点からの反対だったとしても、エネルギー産業が基幹産業になっているラストベルトやアパラチア地方の地域では、フラッキングは「経済問題」となる。採掘労働者だけでなく、労働者が使うホテルやレストラン、バーなどのサービス産業も恩恵を受けている。
 
トランプ陣営はここをハリスの弱点とみて徹底批判している。直接対決の討論会でも追及をやめないだろう。今回の選挙戦の肝の一つになりそうだ。
 
■バイデンはペンシルベニア州での勝ち方を知っている?
ペンシルベニア州西部の選挙区の民主党候補を応援演説するジョー・バイデン上院議員(当時)(2018年3月撮影)
 

 エネルギー産業が盛んな山あいのペンシルベニア州西部でも、穏健な民主党候補であれば勝てる。それを示したのが、2018年3月のペンシルベニア州下院第18選挙区の補欠選挙だった。
 
 これを熱心に支援していたのが、同州出身の上院議員バイデン(当時)だった。バイデンはこの選挙で、民主党のコナー・ラム(当時33)の勝利を支えた。共和党候補はトランプの支援を受けたリック・サコーン(当時60)で、票差はわずか579票だった。

 この選挙区は「鉄鋼の街」ピッツバーグの近くにあり、2002年以来、共和党が議席を維持していた。2016年大統領選でもトランプが約20ポイント差で圧勝した、いわば共和党の牙城。現職大統領トランプは集会で、鉄鋼製品の輸入に25%の関税を課したことを強調し、「鉄鋼が(ペンシルベニア州に)戻ってくる」と訴え、壇上に上げたサコーンへの投票を呼びかけた。トランプファミリーまで動員し、選挙区内のチョコレート工場や消防団を回っていた。
 
炭鉱労働者の会合を回る民主党候補コナー・ラムは野球帽にジーンズ姿。足元は泥の付いたブーツだった(2018年3月撮影)
履きならしたブーツで炭鉱労働者の会合に出席した民主党候補コナー・ラム。民主党批判が強い時代にペンシルベニア州西部で勝利した(2018年3月撮影)

 
 これに対し、バイデンもラムも「労働者」を意識した選挙戦を展開。バイデンは集会で「ラムは重労働、肉体労働の価値を信じている。彼は『組合』という言葉を口にすることを恐れない」と熱弁。炭鉱労働者の会合を回るラムはジーンズに、泥の付いたブーツを履いていた。その上で、演説でも、年金や社会保障、メディケア(高齢者向け公的医療制度)について「皆さんが長年の重労働で獲得した権利を保障する。(削減など)交渉の余地もない」と訴え、労働者が懸念するテーマを多く語った。大統領選ではトランプを支持した労働者にも、この姿勢が気に入り、ラムに1票を入れると話す人が少なくなかった。[ix]

 このような選挙戦をハリス―ウォルズ陣営が展開するかが注目だ。ペンシルベニア州西部の主に白人労働者にも支持を呼びかけるのか。それとも、このエリアは最初から断念し、都市部の若者や非白人、女性の投票率を引き上げることで、州全体での勝利を狙うのかもしれない。

民主党候補コナー・ラムの選挙事務所(2018年3月撮影)
民主党候補ラムの事務所は外壁に「ラムは新たな指導者を求めており、ナンシー・ペロシを民主党指導者として支持しない意向」と伝える地元紙を貼り付けていた。ペロシは当時カリフォルニア州選出の民主党重鎮議員だったが、山あいのペンシルベニア州西部では「カリフォルニアの左派リベラル」のイメージが強く、警戒されていた
 
 第2章では、ペンシルベニア州から、筆者が最も多く滞在したオハイオ州に移動したい。長年民主党から出ていた保安官が共和党に鞍替えするなど、トランプ人気に支えられた共和党の伸長が続いている。危機感を募らせる民主党と、勢いを維持したい共和党の関係者の話を報告する。(敬称略)


[i] Ballotpedia, Pivot Counties by state.  米メディアも引用する選挙関連のデータサイト。大統領選の勝者が、2008年と2012年の民主党オバマから2016年のトランプに変わった「Pivot Counties」が中西部に多いことが分かり興味深い。
[ii] PolitiFact staff, “Fact-checking Trump’s RNC speech”, PBS Jul 19, 2024
[iii]ペンシルベニア州ルザーン郡の現職の民主党委員長だったジョン・ペカロフスキについては、金成隆一『ルポ トランプ王国2 ラストベルト再訪』の75ページで報告した。
[iv]ここで引用したのは、金成隆一『ルポ トランプ王国 もう一つのアメリカを行く』の56ページに登場するオハイオ州ヤングタウンの元保安官の解説。民主党の「変化」について、似た認識を語る人は少なくない。
[v] Bill O’Boyle, “ Pekarovsky resigns as county Democratic chair, cites flak over Yudichak switch”, Times Leader, November 26, 2019
[vi] Reid J. Epstein, “ Why the Kamala Harris of Four Years Ago Could Haunt Her in 2024”, New York Times, July 29, 2024
[vii]例えば、現職上院議員ケイシー(民主党、ペンシルベニア州選出)に挑む共和党候補マコーミックは、「アメリカ史上で最もリベラルな(大統領)候補」であるハリスを支持したとして、ケイシーを批判する動画を選挙戦に使用。ユーチューブには59秒版を、X(旧ツイッター)には91秒版を投稿している。
[viii] CNN staff, “Harris and Walz’s exclusive joint interview with CNN”,  CNN,August 30, 2024
[ix]土佐茂生、金成隆一「鉄鋼の街、労働者票を争奪 米ペンシルベニア州・下院補選」(朝日新聞2018年3月13日朝刊)、「ラストベルト、共和苦戦 米下院補選、陰るトランプ旋風 ペンシルベニア州」(同、2018年3月15日朝刊)

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