外交・安全保障調査研究事業費補助金(発展型総合事業)
「国際理念と秩序の潮流:日本の安全保障戦略の課題」
研究会「宗教と国際秩序」第3回徳之島ユースキャンプ
活動報告書
1.日時
12月14日~12月21日
2.形式
徳之島でのユースキャンプ実施
3.参加者
[座長]
西村 明 東京大学大学院 人文社会系研究科 教授
[幹事・オブザーバー]
立田 由紀恵 東京大学先端科学技術研究センター 特任研究員
犬塚 悠太 東京大学大学院 人文社会系研究科 博士課程
[参加学生]
バニャルカ大学:エミリヤ・グルミッチ
モスタル大学:イワン・ヌイッチ
サラエボ大学:アナ・エレナ・バンドゥーカ
デラサール大学:ラファエル・フェルナンド
琉球大学:新垣みずほ
鹿児島大学:西原来海
東京大学:和田理恵、細野一斗
[現地カウンターパート]
松岡由紀
4.活動報告
12月14日
ボスニア・ヘルツェゴビナからの参加者であるエミリヤ・グルミッチ(バニャルカ大学)、イワン・ヌイッチ(モスタル大学)、アナ・エレナ・バンドゥーカ(サラエボ大学)に加え、フィリピンからの参加者のラファエル・フェルナンド(デラサール大学)が羽田空港に到着。
12月15日
上記海外から招聘した学生に加え、東京大学の和田理恵、細野一斗および立田、犬塚が羽田空港から鹿児島空港へ。鹿児島空港で鹿児島大学の西原来海が合流し、徳之島子宝空港へ。徳之島子宝空港では西村教授と琉球大学の新垣みずほが加わり、その後徳之島高校へ向かった。
徳之島高校では16:00から高校生8人(+英語教師2名)と交流会を行い、お互いの文化などについて英語でディスカッション(10~15分を4セッション)を行った。
その後18:30から宿泊先でキャンプ開会にあたり打ち合わせ懇談会を行い、本キャンプの目的や趣旨について確認しつつ、親交を深めた。
12月16日
朝食後、9:30から伊仙町役場を訪問し、伊仙町教育委員長の幸田順一郎氏やそのほか職員の方々に挨拶を行った。幸田氏からは徳之島の豊かな文化や自然、出生率の高さや長寿など徳之島の強みについて簡単に説明があった。その後10:15~11:30は参加者の学生同士の親睦を深め、のちのディスカッションを有意義なものとするためにアイスブレイクセッションを実施。昼食後13:45-14:45にかけて天城町の樟南第二高等学校を訪問し、徳之島の自然(島特有の動植物や地理)や歴史に関する生徒らの発表を聞いたのち、高校生たちと交流会を行い、英語でお互いの歴史や文化的背景について活発に議論した。15:00からは天城町の浅間飛行場跡を訪れた。島内では珍しい直線的な道路が過去は飛行場として使われていたことに参加学生らから驚きの声が上がった。次に特攻平和慰霊碑を訪問し日本の戦争の歴史および徳之島から飛び立った特攻隊や島の戦没者について西村教授の説明とともに学びを深めた。
12月17日
10:00から11:30の間、伊仙町歴史民俗博物館で現地カウンターパートの松岡氏による徳之島の歴史に関するレクチャーを受けた。講義の中では島が多く南北に広がる日本についての地理についての簡単な導入に始まり、中国との緊張が高まる状況における南西諸島地域についての地政学的な重要性について示された。加えて南西諸島(北緯30度以南)がアメリカ統治下に置かれたこと、それによって本土との行き来や貿易が制限されてしまったことや、周縁地域として様々な災害などの被害があまり取り上げられなかったこと、さらに南西諸島のみで利用された通貨のために非常に困難な8年間を過ごしたことが指摘された。これらの基本的な情報に加え、奄美のガンジーとも言われた伊仙町出身の泉芳朗による奄美返還運動、署名活動やその後の泉芳郎とマーフィ大使の会談を通じて北緯27度以北の南西諸島が変換されたことについて解説された。一方で南西諸島の返還がどう受け止められたかについて、奄美諸島と徳之島の歴史的状況の違いについても指摘があった。質疑応答中には東京大学の細野氏から徳之島の帰属意識についての質問があり、松岡氏からは琉球王朝時代以前の交易(長崎・琉球・徳之島間)状況や、琉球王国と島津藩の微妙な関係とその中に置かれた人々の状況について詳しく説明があり、学生たちも南西諸島の複雑な歴史について非常に関心を持ったようである。レクチャー後半部では戦時下の神風特攻隊に参加した樺島資彦について説明された。彼の教育観や遺書などの紹介があり、彼の死生観、自己犠牲の精神について説明された。学生からはこうした死生観や状況、メンタリティについて自分たちが理解することは困難であるとしながら、類似する考えや態度についてラファエルからフィリピンの国歌、イヴァンからクロアチアの事例について情報共有があった。レクチャーについて振り返りながらランチミーティングを行った後、戦艦大和慰霊塔がある犬田部岬を訪れ、西村教授らの説明を聞きながら太平洋戦争末期の日本の状況について学んだ。続いて徳之島出身の陸軍少尉・樺島資彦の墓を訪れ、午前中のレクチャーを思い出しつつ徳之島の戦時中・戦後の動きについて再確認した。
12月18日
10:00から伊仙町歴史民俗博物館で2つのグループに分かれ、これまでのキャンプの中で訪問した場所、レクチャーなどで新しく知ったことなどについて11:00まで意見を交換し、その後成果を共有した。最初のグループ(アナ・エレナ・バントゥーカ、西原来海、ラファエル・フェルナンド、和田理恵)は3つのRという形で記憶(Remenbrance)、関わり合い(Relationships)、尊重(Respect)が重要であると述べた。とりわけ一つ目の記憶に関しては、やはり人間は記憶したいことを記憶する傾向にあるため、いかにして歴史的事実に基づいて客観的な記憶をできるのかを考える必要があるということが述べられた。もう一つのグループ(イワン・ヌイッチ、エミリヤ・グルミッチ、細野一斗、新垣みずほ)の報告では日本の戦争の記憶の仕方とボスニアの戦争の記憶の仕方に関して、前者は集合的な記憶である一方で後者は個人的、あるいはエスニシティに基づくものが多いと指摘され、ボスニアにもより普遍的な記念碑などが必要なのではないかという意見が示された。そのほか、在日韓国人の受ける差別や、沖縄におけるアイデンティティと旧日本軍のトラウマ的記憶についても共有され、ナショナリティや国にかかわらず、お互いが「人間」として尊重しあうことの重要性が共有された。午後はなごみの岬公園を訪れ、第二次世界大戦中に沈没した武州丸や富山丸の記念碑などを西村教授の説明を聴きながら見学した。その後母間を訪れ、現地のカトリック教会の状況(人数などの規模)や全国の教会組織の中での位置付けなどについて話を聞いた。
12月19日
10:00から伊仙町歴史民俗博物館にて参加学生がそれぞれ今回のキャンプを通じて戦後社会への見方がどのように変わったのか/あるいは変わらなかったのか、キャンプの体験とも結びつけながら報告レポート執筆する時間を取った。12:00から移動を開始し、面縄小学校を訪問、給食を一緒に食べながら児童たちと交流した。14時に伊仙町歴史民俗博物館へ戻り、土曜日のイベントに向けて、ペアに分かれ(2人*4ペア)それぞれが自らの国や出身地を紹介するスライドなどを作成し、また16:00から17:00は午前中に行った報告レポートの続きを執筆した。18時から20時にかけては伊仙町みらい館にて沖永良部島からの高校生らとともに夕食をとり、同時に英語による交流を行った。
12月20日
14:30にほーらい館に集合し、会場準備を開始。15:30から参加学生らによる自己紹介および各国の紹介を行った後、4ペアに分かれ、それぞれ来場した生徒たちと英語で会話した(約12分*4セッション)。その後、島の伝統芸能についてのレクチャーを受け、和太鼓と島唄のパフォーマンスを鑑賞・体験したのち、簡単なゲームを行い生徒たちとの交流を深めた。最後にボスニア・フィリピンからの参加者が歌・踊りを披露し、交流会は終了した。
12月21日
徳之島空港から鹿児島空港を経由し、羽田空港へ。海外からの参加者はそこから自国へ戻り、ユースキャンプ終了。
5.報道
・南海日日新聞(社会・経済)世界の大学生と語ろう 徳之島でユースキャンプ 2025.12.24
(https://www.nankainn.com/news/p-economy/世界の大学生と語ろう%e3%80%80徳之島でユースキャンプ)
・奄美新聞 ~戦後80年~ 徳之島で国際ユース交流 2025.12.20
(https://amamishimbun.co.jp/2025/12/20/59727/)
・Jutarnji List (ボスニアの日刊紙)
2026年1月27日(火)
Od Mostara do Tokunoshime: Ivan Nujić, student Sveučukušte u Mostaru, Bosnu i Hercegovinu je predstavio u Japanu. “Veliiki broj Japanaca zna za BiH po Ivici Osimu, od njih možemo učiti o zajedništvu i međusobnom poštovanju"