日本トルコ外交関係樹立100周年記念
国際セミナー・シリーズ「建築と外交」第5回
「芦田均とトルコーージャズ・エイジのイスタンブル」
日時:2024年11月29日(金) 14:00-1700
場所:東京大学駒場Ⅱキャンパス(東京都目黒区駒場4-6-1)・先端科学技術研究センター・3号館中2階セミナー室
形式:対面のみ
使用言語:日本語
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池内恵(東京大学先端科学技術研究センター教授)
「戦間期の日本の中東外交とトルコ」
矢嶋光(名城大学准教授)「芦田均にとっての転換点:トルコ勤務の4年間 1926-1929」
ジラルデッリ青木美由紀(イスタンブル工科大学准教授補)「ジャズ・エイジのイスタンブルと日本:イスタンブル旧日本大使館購入と芦田均」
[概要]
「建築と外交」セミナーシリーズ第5回目、最終回は、イスタンブルの旧日本大使館の建物の政府による購入と、それに尽力した当時の臨時代理大使、芦田均(1887−1959)に焦点を当てます。のちに第47代内閣総理大臣となった芦田は、政治の世界に身を投じる直前の1926年から29年の間、イスタンブルで書記官・参事官として勤務し、その間に臨時代理公使及び臨時代理大使を務めました。
1923年に建国されたトルコ共和国。新首都はアンカラとはいえ、 旧都イスタンブルにさえ外交拠点のなかった日本は、まずはイスタンブルに大使館を創設します。オスマン帝国崩壊後、建設途上の新首都アンカラとの往復の日々のなか、イスタンブル発アンカラ行きの鉄道一等車両は、同様に往復する各国の大使が出会う、さながら動く外交サロンだったようです。
芦田のイスタンブル在任時、日本にとって重要な国家行事がありました。昭和天皇の即位御大典です。大正天皇崩御の三年後(1928・昭和3年11月10日)、各国から君主を集め、東京で執り行われた御大典に続き、世界各地の大使館でも即位披露のレセプションが行われました。芦田はその大任を取り仕切ります。トルコでは、その特殊な事情から、レセプションはイスタンブルとアンカラの両方で開催されました。
芦田がイスタンブルのレセプション会場として選び、借りたのが、華やかな装飾で知られるアヤズ・パシャ地区のパンギリス邸でした。現在のイスタンブル旧日本大使館の建物です。これがのちに、日本政府が大使館として建物を購入する経緯へとつながります。
セミナーでは、イスタンブルとアンカラの間で中心が往復する外交の様相を、<スウィンギング>ジャズに喩え、ジャズ・エイジのイスタンブル、としました。
この時期の『芦田均日記』をもとに、晩餐会や舞踏会、お茶会、ブリッジの会、コンサートや観劇など、戦間期のイスタンブルでの外交官同士の華やかな社交と、芦田均・寿美(すみ)夫妻、のちにトルコ史の専門家となる一等通訳官内藤智秀(1886−1984)、右翼活動家となる駐在陸軍武官橋本欣五郎(1890−1957)、 駐トルコ大使小幡酉吉(1873−1947)など大使館をめぐる人々の人間模様を深堀します。同時期の東京や大阪では、 初代駐日トルコ大使フルーシー・フアッド・ベイ(1925−29)の赴任、日・土貿易協会 (大阪、1925年)や日本トルコ協会の創立(東京、1926年) と、西本願寺門主大谷光瑞(1876−1948)、実業家山田寅次郎(1866−1957)、稲畑勝太郎(1862−1949)などの動きがありました。
最終回となる今回は、芦田均研究の矢嶋光先生をお招きして、これらを、古都ブルサでの日本トルコ初の産業提携・日土絹染織工場のオープン、イスタンブルの日本大使館で開催された近東貿易会議など、幣原喜重郎外相による戦間期日本の経済外交、ひいては旧オスマン帝国から独立したユーゴスラビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ルーマニア、ブルガリアなどの各国の動向とトルコ共和国、東に目を転じればイスラエル建国前後の中東、その絶妙の接点に位置するイスタンブル、という第二次世界大戦へとなだれ込む大きな文脈へ繋げてみたいと思います。