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2023 / 12 / 08 (Fri.)

[Concept Notes] 国際セミナー「イスタンブルにおける近代日本外交の来歴」に寄せて

[Concept Notes]
イスタンブルにおける中東国際政治の中の日本と旧大使館:国際セミナー「イスタンブルにおける近代日本外交の来歴」に寄せて

池内恵(東京大学先端科学技術研究センター)

「イスタンブルにおける近代日本外交の来歴」とやや大仰に銘打った国際セミナーを開催するにあたって、企画・組織者として、その企図と射程について記しておきたい。
  このセミナーが、中東の建築史や政治史、日本外交史に学術にささやかな一歩の前進を踏み締めるだけでなく、その先に、日本の社会に対して、ひいては世界に向けて何を問いかけ、提案しうるか。そのような観点から本セミナーの究極的な目的を問えば、「近代日本の国際外交における固有の来歴を、イスタンブルという場において問う」ということになるだろう。
  近代日本の国際外交における来歴を問うとは、どういうことか。それは日本が近代の国際外交の条理において持った、身の丈と姿形を、その発端と成り立ちの過程において見届けることである。これは日本は近代においてどのような固有の「使命」を帯びているのか、日本の外交が個別の国家利益の追求を超えて持っている「大義」とは何かの追求であり、それは結局のところ日本の近代世界における国家としてのアイデンティティを問うことになる。日本が国際外交において、その来歴から必然的にもたらされる「語るべきもの」とは何かを掘り下げるのが本シリーズの究極の目標であり、それは日本が対中東あるいは広く世界に向けて外交において「語るべきもの」を持ちうるかという課題への取り組みである。
  この日本の近代外交における使命と大義を、パリでもロンドンでもジュネーブでもワシントンでもなく、上海でもシンガポールでもなく、イスタンブルの文脈で問うことが、本セミナーの新基軸である。
  イスタンブルは、近代の国際外交において、まぎれもなく一つの「中心」であった。ただしそれは世界政治の権力の中心となる主体としてではなく、世界政治の角逐の対象となる客体としてだった。
  19世紀-20世紀初頭の国際外交において、「東方問題」に揺れ、徐々に劣勢に立ちつつあるオスマン帝国の首都として、イスタンブルはなおも余りある富による繁栄に浴しながら、重要性を保っていた。古代ローマ帝国が首都と定めたイスタンブルは、ボスフォラス・ダーダネルス海峡という比類なき地政学的な位置と規模を有し、西洋列強の角逐の対象であった。
  イスタンブルにおいて、英・仏・伊・露等の西欧列強は、大使館・公使館・総領事館等の在外公館と、大使・総領事等の公邸を壮麗に設え、しばしば夏と冬で場所を移しながら、外交を展開した。それらの外交建築物は、大国の威風を示す顕示的な側面と、戦略的要地を見下ろす橋頭堡を確保する実際的な側面を兼ね備えた。
  イスタンブルにおける西欧列強の公館・公邸の外交建築に関する研究は、西欧諸国の専門家の手によってすでに進んでいる。
  それでは日本についてはどうかというと、研究は端緒についたばかりである。
  もちろん、イスタンブルにおける日本のプレゼンスは、過去においても、現在においても、かつて「列強」と呼ばれた西欧主要国には比べるべくもない。「東方問題」が真っ盛りの頃に、日本は極東でひっそりと開国したばかりであった。アジアで、欧州で、米国で、日本が「一等国」たらんと苦闘する間にも、イスタンブルの「東方問題」は進行し、オスマン帝国の蚕食は進んだ。そこに日本は後発の極東の大国として、最終段階のそのさらに最後になって、おずおずと姿を現したにすぎない。しかし、だからこそ、アジアで、欧州で、米国で、虚勢を張り、肩肘を張り背伸びをして列強に伍さんとした日本とは様相の異なる、等身大の日本が、イスタンブルの近代史には残されているのではないか。
  今回のセミナーは、近代の西洋列強が外交でせめぎ合う焦点だったイスタンブルにおいて、ささやかながら誇りを持ち、相手に対する尊重を保ちながら得た日本の立ち位置を、建築史の観点を取り入れて描くことである。
  イスタンブルにおける日本の立ち位置を浮き彫りにするために選んだ素材が、イスタンブルの中心、タクシム広場に程近いギュムシュスユに今も残る、旧日本大使館・総領事館の建物である。1923年、オスマン帝国の最末期に、イスタンブルに送った特命全権公使を大使に昇格させていた日本は、1923 年建国の新生トルコ共和国と、1924年のローザンヌ条約批准により、正式な国交を樹立した。イスタンブルを拠点に活発な外交・通商貿易を繰り広げようとした新興日本は、1929年にここに大使館建物を初めて購入した(購入を強く外務省本省に具申し、尽力したのが、のちに首相となる芦田均臨時代理大使だった)。
  西欧列強がイスタンブルに数多く残した(その多くは今でも外交・文化施設として用いられている)外交建築と、日本の購入した大使館(のちに総領事館)の建物は、どう異なっていたのか。外交建築によって西欧列強はイスタンブルで何を表現し、それに対して日本の購入した大使館の建物は何を示していたのか。イスタンブルにおける外交建築を通し、日本外交の「来歴」に遡り、近代国際外交における日本の「使命」と「大義」を対象化し、言語化するのが、本セミナーによって端緒についた「外交と建築」プロジェクトの究極的な目的である。それは日本外交のアイデンティティを定めることでもあり、日本が外交条理において真に「語るべきもの」を持つための不可避の自己探索だろう。

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