Commentary

2023 / 10 / 14 (Sat.)

ROLES COMMENTARY No.11 パブロ・フェルドルチェンコ - クトゥエフ/篠田英朗「ウクライナ戦争」という名称の問題性

提供:Ukrainian Presidential Press Service/ロイター/アフロ

「ウクライナ戦争(Ukraine War)」という表現の問題

     戦争とは、別の手段による政治の継続である、という有名な格言がある。本稿の後半では、「ウクライナ戦争」という表現が持つ問題を、国際関係・国際法の観点から検討する。しかし、「リアルポリーティーク(Realpolitik)」の観点からロシアのウクライナ侵略を見るなら、世論の問題に取り組まなければならない。
       ロシア侵略の虐殺的な性質を考慮すると、ウクライナ国家が政治的にだけでなく単に物理的に生き残るためには、戦場で勝利することが必須である。しかし、戦争は多面的な事業であり、政治的文脈の中で行われる。したがって、ウクライナの国家を守る努力にとっては、政治的に勝利することが重要であり、そのためには世論の法廷での支持を求めることが、どうしても必要である。マスメディアは、情報(事実、データなど)を提供し、国民の見解や意見に影響を与える。つまり「知らせる」という行為を通じて、国民に情報を提供し、世論を形成していく重要な役割を果たす。
     その観点から見て、ロシアのウクライナ侵略を説明するための言葉/用語の選択は、それがどのような結果をもたらすかという点について、非常に重要である。評判の高い報道機関は「ロシア・ウクライナ戦争」などの関連用語を使用している。ところが、報道機関の中には、タイトルに「ウクライナ戦争(Ukraine War)」という表現を使用することが容認されると考えているものもある。[1]
      これは大きな問題である。なぜならこのような表現では、ロシアによるウクライナの侵略、という戦争の性格が見えなくなってしまうからだ。
      状況は、ウクライナに関する虚偽のメッセージを広める、攻撃的かつしばしば巧妙な、そして潤沢な資金を用いたロシアの世界的プロパガンダ機関によって、悪化し続けている。 プロパガンダでは、ロシアの傀儡ヤヌコフチを打倒したマイダン革命後のウクライナ政府の不法性、ウクライナ国家の人為的性質、ウクライナ政治におけるナチスの優位性などが、巧みに語られる。ロシアのプロパガンダは、対ウクライナ戦争を正当化してごまかそうとする試みとして、自由民主主義国のポピュリスト扇動者(トランピスト運動など)の偏執的な言説も、巧みに利用している。ロシア国家が地球規模でその政策を推進するために正教会を積極的に利用していることもまた、注目に値する。[2]
      対ウクライナ戦争のこの段階でロシア人がウクライナ人に対して行った残虐行為の規模の大きさを考えると[3]、ウクライナにとってロシア・ウクライナ戦争に関する真実の情報を広めることは不可欠である。この戦略の重要な要素は、スペードをスペードと呼ぶこと、つまり事実をありのままに表現することだ。ロシアの対ウクライナ戦争は、いわれのない違法な侵略戦争であるという事実に基づいて立てられ、考えられるべきである。「ウクライナ戦争」といった表現で、そのことを誤魔化すようなことは、あってはならない。
      ウクライナの学者と外交使節は、世論の法廷でこの訴訟に勝利し、それによってウクライナの条件でこの戦争を終わらせるためにできるだけ多くの各国政府からの支持を得るため、この戦争についての真実を広める上で極めて重要な役割を果たすべき立場にある。

「ウクライナ戦争(Ukraine War / Ukrainian War)」という表現の使用についての考察

      世界の各国政府は公式には「ウクライナ戦争」や「ウクライナ戦争」という表現を使っていない。その結果、国連などの国際機関も同様にこの表現を使用していない。状況の法的立場を正確に説明するために、「ロシアの全面的な侵略(full-scale invasion by Russia)」といった表現を用いるのが普通である。なぜかと言えば、各国政府や国際機関が、「ウクライナ戦争(Ukraine War/ Ukrainian War)」という表現の問題性を明らかに認識しているからだ。 安易に間違った表現を使うことは、深刻な政治状況を考えれば、許されない。
      しかし、ジャーナリストや学者でさえ、「ウクライナ戦争(Ukraine War/ Ukrainian War)」という表現を不用意に使用することがよくある。その理由は、単純である。編集者がタイトルの単語数を減らすことに喜びを見出すからである。だが、果たして、そのような理由で、政治的含意を伴う表現の選択が正当化できるだろうか。
       商業的合理性を超えて存在する事情を見るために、戦争に名前を付ける方法の 3 つの主なパターンを検討してみたい。
     まず、戦争に名前を付ける伝統的な方法の第一は、二つの交戦国の名前を使用することである。この慣習は、19世紀頃の大国政治の時代や、国家主権の概念に基づく国際法の制定以降に広まった。たとえば、1904年に日本がロシアと戦争を行ったとき、この戦争は「日露戦争」と呼ばれた。このように、多くの学者は現在、ロシアとウクライナの間で進行中の戦争を可能な限り客観的に説明するために「ロシア・ウクライナ戦争」という表現を使用している。
       第二に、戦争当事者の数が非常に多く、少数の当事者だけを説明するのは意味が通らない場合、一般的・抽象的な概念を用いて戦争の命名を行う場合がある。典型的な例は「第一次世界大戦」や「三十年戦争」などである。イスラエルが「ヨム・キプール戦争」と呼んだ戦争が、アラブ世界では 「十月戦争」となったりすることもある。この種の命名方法は、ロシアとウクライナの間で現在進行中の戦争では観察されていない。紛争当事者の数は非常に多いとは考えられていない。たとえNATO加盟国が現時点でウクライナを強く支援しているとしても、実際にはそれらは紛争当事国ではない。交戦当事者は、現時点でロシアとウクライナの二カ国のみである。また、この戦争の最も象徴的な特徴を言い表す抽象概念についての明確な合意もない。
        第三に、特に地理的位置が戦争の重要な課題に関連している場合、戦争に特定の地理的地域の名前が付けられることがある。 典型的な例として、「クリミア戦争」や「フォークランド諸島戦争(紛争)」などが挙げられる。1945年の第二次世界大戦終結以来、武力紛争のほとんどは国内戦争の性格を持ってきた。 その事情を反映して、「ビアフラ戦争」や「ティグレ紛争」など、武力紛争が発生した特定の地理的地域にちなんで戦争名を付けることが非常に一般的になった。このパターンは国家間戦争の場合にも観察される。「カシミール紛争」や「キプロス紛争」などのように、領土紛争によって戦争が引き起こされた場合が、該当例である。内戦が主権国家の地理的領域全体で起こっているとみなされる場合には 、「シエラレオネ内戦」や「リベリア内戦」などの場合のように、紛争が国家の名前によって命名される可能性も生まれる。
      アメリカ人が2001年のアフガニスタンのタリバン政権に対する攻撃を「アフガニスタン戦争」と呼び、2003年のイラク侵略を「イラク戦争」と呼んだとき、彼らは戦争に命名する3番目のパターンを念頭に置いていた。彼らは、地理的に戦争が起こった国の名前にちなんで戦争を命名したのである。米国には、1945 年以降、「朝鮮戦争」や「ベトナム戦争」など、この地理的命名パターンを採用して自国が従事した戦争の名称を決めてきた経緯がある。ただし、これらの戦争は、米国が積極的に関与する以前に、同じ民族集団間の対立の構造を持っていた。たとえその介入が戦争を著しく激化させたとしても、米国は同じ民族集団間の戦争に介入しただけであると言う余地があった。「ボスニア紛争」と「コソボ紛争」は、米国が国連安全保障理事会の支援、あるいは少なくとも注意関心を得ながら、NATOを通じて内戦に介入した事例であった。 2001 年の「アフガニスタン戦争」の場合も、米国の侵攻前に戦争があったことは事実である。ただし、通常は、2001 年以前のアフガニスタンにおける内戦と、米国が 2001 年に始めた戦争は、区別されることが多いはずであり、その意味では疑念の余地がある。2003年の「イラク戦争」の場合は、米国がイラクに侵攻して戦争を始めたことが、さらにより明白であった。 アメリカの侵攻以前、イラクでは実質的に継続的な内戦は存在しなかった。[4]
       ジョージ・W・ブッシュ政権は、「テロとの世界戦争(Global War on Terror: GWOT)」という言葉を好んで使用したが、これは「我々とともに、そうでなければ我々対抗して(either with us or against us)」というブッシュ・ドクトリンのもとで行われる一種の非常に修辞的な世界戦争であった。 もしアフガニスタンとイラクの二つの戦争がより大規模な「GWOT」における地理的に限定された戦争であったとみなすならば、二つの戦争は単なる主権国家間の戦争ではなく、より大きな戦争の中の地域的な戦争だ、という主張が成り立ちうる可能性もあっただろう。「アフガニスタン戦争」や「イラク戦争」といった表現には、それらの戦争が「GWOT」の局地戦だった、という言いたいかのような含意がある。
     しかし実際には、「GWOT」は結局のところ非常に抽象的な戦争だった。したがって、そのような主張に十分に説得力があるとは言えない。今日、ほとんどの国際法学者は「イラク戦争」または「アメリカのイラク侵攻」を、違法な侵略だったと見なしている。そう考えると、2003年「イラク戦争」を、「イラク戦争」と呼び続けることには、大きな問題がひそんでいる。あたかもそれが局地戦に対する外部者の介入であったかのような印象を受け付けることによって、アメリカによるイラクの違法な侵略、という側面を、言葉の上では、覆い隠してしまうからだ。
    「イラク戦争」の問題性を通じて、「ウクライナ戦争」の表現の問題性もまた、浮かび上がってくる。 2003年のアメリカの行動を「アメリカのイラク侵略」や「アメリカ・イラク戦争」ではなく「イラク戦争」と呼ぶ態度は、「ロシアのウクライナ侵略」や「ロシア・ウクライナ戦争」を、「ウクライナ戦争」と呼んでしまう態度に通じる。それは、2022年のロシアの主張を受け入れる余地を生む態度でもある。ロシア政府によれば、ロシアの侵略と言わざるを得ない軍事行動は、実はウクライナの一部地域(当初はドネツクとルハンシク及びクリミアに限定されていたが、現在はザポリージャとヘルソンも含む、結局はロシアへの併合を宣言されてしまった地域)における「ロシア語話者」の「民族自決のための独立戦争」を擁護するため、「キーウのネオナチ政権」と「NATOの帝国主義的拡大」に対抗する「特別軍事作戦」である。「ウクライナ戦争」という局地戦であることを含意にする表現を用いる態度は、ロシアのプロパガンダを容認してしまう態度に通じる。
      すでに指摘したとおり、国連加盟国の約4分の3の国がロシアの「侵略」を認める決議に賛成票を投じた事情を鑑みて、世界の大多数の国は、意識的に「ウクライナ戦争」という言葉を使わないようにしている。しかし注目すべきは、このような問題性にもかかわらず、なお「ウクライナ戦争」という表現を使い続けている人々である。仮に「ウクライナ戦争」という表現を使うことに大意はないという但し書きを付けたとしても、「ウクライナ戦争」という名称をあえて用いる態度は、そのような但し書きと矛盾することになる。
複雑な事情は、2003年のイラク侵攻に責任を負っているアメリカが、現在ではウクライナの主要な支援者となっていることだ。現在、アメリカ政府は、ウクライナにおけるロシアの行為の違法性を強調し続けるために、「ウクライナ戦争」や「ウクライナ戦争」という言葉を使わないよう十分に注意している。 それにもかかわらず、驚くべきことに多くのジャーナリストや学者を含む一般のアメリカ人は、あたかも「イラク戦争」の合法性と命名に何の疑問もないかのように、「ウクライナ戦争」という表現もまた、ためらうことなく使用している。
     そのため、一般のアメリカ人の感情を傷つけたくない人は、「ウクライナ戦争」や「イラ ク戦争」という言葉の問題性について深い疑問を投げかけることを避けようとする。ウクライナを支持する人々の中にも、そうした心情は強く働いている可能性がある。だが結局のところ、アメリカ人に配慮することを通じて、そのような人々は、実際には、「特別軍事作戦」の介入の物語を主張しているウラジーミル・プーチン大統領に配慮しているかのように振舞ってしまっているのである。
        ロシア政府だけでなく、「グローバル・ノース」に対する「グローバル・サウス」の立場を支持する人々、あるいはもっと単純に反米国や反西側のイデオロギーを支持する人々は、2003年「イラク戦争」の表現を取り換えるべきだと考える。それについて、多くの米国人は当惑せざるを得ないかもしれない。そこで米国人に配慮をする動機づけが働くならば、無意識のうちに、「ロシアのウクライナ侵略」を、「ウクライナ戦争」と呼び変えてしまうことも容認するような土壌が生まれる。
    戦争の名称の問題は、極めて政治的な問題である。
    この問題について話し合うのは面倒だ、という心情を持つ者も多いかもしれない。なるべくうやむやにしたほうが政治的に得策だ、という配慮が働かせている者もいるかもしれない。しかし、進行中の戦争の性質と周囲の環境をより良く分析するには、この問題の性質について、少なくとも学術的なレベルで認識しておくことは、極めて重要かつ必要な作業である。

脚注:
[1] たとえば最近のBBCの記事として、https://www.bbc.com/news/world-us-canada-66898029.
[2] たとえば、https://ecfr.eu/article/propaganda-in-holy-orders-africa-ukraine-and-the-russian-orthodox-church/.
[3] アメリカのトップ外交官の演説における説明を参照せよ。https://osce.usmission.gov/the-russian-federations-ongoing-aggression-against-ukraine-65/.
[4] 篠田英朗は、2003年「イラク戦争」発生当時、正当化のための論理は、サダム・フセインの圧政と過酷な経済制裁に苦しむ人々を保護するための「人道的介入」しかないが、それも法的には非常に弱い論拠だと言わざるを得ないので、結局は違法性の疑いが濃厚な武力行使である、と論じた。篠田英朗「対イラク戦争の諸問題」,『創文』,No. 450, 2003年2月号、参照。また、次のようにも書いた。「超大国アメリカのかつてない積極的な対外軍事行動によって、既存の国際法の枠組みからの逸脱が行われたイラク戦争は、『広義の』法の支配の射程の広さと、危険性とを劇的に示したものだったとも言える。このようなアメリカの姿勢が、長期的に継続していくかどうかについては、即断することはできない。また人道的介入をめぐる議論は、介入後にとるべき責任に関して成熟しておらず、戦争前から戦争反対者の最大の論拠であったイラクの『平和構築』の困難に、アメリカが責任を持ち続けていけるかどうかも不明である。いずれにせよ超大国アメリカがイラク戦争で示した問題は、平和構築における法の支配の基盤を考える際に、大きな問いを投げかけ続けることになるだろう。」篠田英朗『平和構築と法の支配-国際平和活動の理論的・機能的分析-』(創文社、2003年)、43頁。

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